調査員おすすめ逸品第156回 古代の人々が使った祭祀の道具①ー人形代

 上御殿遺跡は、琵琶湖の北西部にあたる高島市安曇川町三尾里一帯にひろがる遺跡です。JR湖西線安曇川駅から南西1㎞ほどはなれた付近にあたり、青井川が遺跡の中を流れています。この青井川の改修工事にともなって、平成20年度から26年度にかけて発掘調査をつづけてきました。調査によって得られた成果は多岐にわたりますが、それらの一つに、河川跡から出土した奈良時代から平安時代にかけてのさまざまな木製祭祀具があります。今回は、そのなかから人形代(ひとかたしろ)について紹介します。
 人形代とは人の形を模したもの(形代)のことで、ほとんどが木製のもので、各地の遺跡から出土しています。形は、正面から見た人の姿をあらわすことが基本です。薄い板の側面を切り欠いて頭や手足を作りだしており、頭頂部の形には三角形や円形のもののほか、冠を表現した例(写真1)もあります。

写真1 上御殿遺跡から出土した人形代

写真1 上御殿遺跡から出土した人形代


 大きさはさまざまで、10cm以下の小型品から、1mを超えるような大型品まであります。上御殿遺跡では15㎝~20㎝程度の例がほとんどですが、一部には10㎝程度の小型品や65㎝程度の大型品も見つかりました。さらに、これらのなかには墨書で顔や体を表現したものがありました。顔の表情にはユーモラスなものや、一見すると「ロボット」のごときものもあって、見る人の興味をひくポイントとなっています(写真2)。
写真2 人形代の顔の表情

写真2 人形代の顔の表情


 人形代は、先行する時代に中国において同様の形態品がすでに出現しているので、中国大陸から日本列島へ伝わったと考えられます。日本では7世紀中頃からお祀り(祭祀)にもちいられ、奈良時代や平安時代になると、都や地方役所等の遺跡から出土しています。さらに、長い期間にわたって作られていくうちに、形が少しづつ変化していったこともわかってきました。奈良時代末になると「なで肩」をしたもの(写真1―①)だけでなく、「いかり肩」をしたもの(写真1―②)があらわれますし、平安時代には手の表現のないもの(写真1―③)が出現します。上御殿遺跡では、特定の形の例に偏るのではなく、さまざまな形の人形代が出土しています。このことは、この場所で祭祀が継続して行われていたことを物語るのでしょう。
 人形代を使った祭祀としては、(1)祓(はらえ)を目的としたもの、(2)病気の治癒を目的としたもの、(3)呪いを目的としたもの、などが想定できます。これらのうち、大祓に代表される(1)の祭祀が代表的なもので、当時の都や地方の役所などで行われました。現在の神社でも行われている大祓は、毎年6月と12月の晦日(みそか:月の末日)に、普段の生活のなかで身についてしまった「穢れ」を取りはらうために行われます。そのなかで、体から、人形代に「穢れ」を移し、それを川に流すことで、みずからの「穢れ」を別世界へ流し去ってしまうわけです。上御殿遺跡でも、人形代は川の中からまとまって出土していますから、このような祓に関わるものの可能性が高いと考えています。
 上御殿遺跡の人形代については、平成25年度までの調査で約100点におよぶ出土点数の多さ、奈良時代から平安時代にかけての長期間の祭祀に使用された、という特徴があります。このようなまとまった資料は滋賀県内でも多くありませんから、当時におこなわれていたお祀りの状況をかんがえるうえで貴重な資料といえるのです。
(中村智孝)

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