(大津市本丸町)

膳所公園全景
膳所城は、大津市膳所の湖岸にあった江戸時代のお城です。現在は本丸部分が膳所公園となっていて、お花見の名所として御存知の方が多いのではないでしょうか。膳所城下町のはずれで生まれ育った私にとっても、膳所公園は子供のころからの遊び場で、よく釣りにいったことを記憶しています。
膳所城は関ケ原の合戦後、徳川家康が京への備えとして慶長6年(1601)に築城し、それ以降本多氏をはじめとする譜代大名が封ぜられました。しかし、江戸幕府が滅び、明治4年(1872)に膳所城は廃城となってしまいました。本丸をはじめとする主要な施設は早々に売却され、解体されてしまったのです。お城の石垣も琵琶湖疏水等の建設資材に転用されました。そのため、現在では膳所城址に当時の建物や石垣は残っていません。
なお、念のために申しあげておきますと、現在膳所公園入口付近には城門風の建物・築地塀・堀がありますし、公園のまわりには石垣がめぐっています。しかし、これらはすべて戦後の公園整備によってあらたに建設・設置されたものです。しかも残念なことに、江戸時代当時の状態で正確に復元されたものではありません。たとえば、公園入口の「城門」は、本来の本丸入口の門の位置とは大きく異なっています。
つまり、膳所城の具体的な様相は絵図史料からある程度うかがうことができるものの、城内にあったさまざまな施設の正確な位置や内容についてはよくわからないのです。
おススメPoint

膳所城北の丸出土軒平瓦の刻印
これらの瓦のなかには、城主本多氏の家紋を入れた瓦などの興味ぶかい遺物がありますが、ここでとりあげたいのは軒平瓦の端面に「九」という字を刻印したものです。これは、従来の研究成果によって、膳所御用瓦師「清水九太夫」の印である可能性が考えられています。まず間違いなく、膳所城内の建物に葺かれていたとみてよい瓦です。
周辺のおススメ情報

膳所神社表門

膳所神社表門脇塀の刻印瓦
膳所神社には、表門以外にも北門・南門が膳所城から移築されたと伝えられています。膳所城については、大津市膳所支所内に膳所歴史資料室があり、膳所城関連の展示があります(不定期)。膳所神社前の膳所高校敷地には、膳所藩の藩校であった遵義堂の記念碑がありますので、あわせて見学をおすすめします。
アクセス
【公共交通機関】京阪石坂線「膳所本町」駅下車、徒歩7分。
【自家用車】湖周道路近江大橋西詰から南へすぐ。
(辻川哲朗)