
写真1 治田神社
草津市在住の私は、滋賀県内の発掘調査に携わり30年ほどになりますが、これまでず~っと湖北や湖東界隈の調査ばかり行かされて、ここ数年になり、やっとこ湖南地域の家から近いところの調査に行かせてもらえるようになりました。今回紹介する治田(はるた)神社(写真1)は、令和2年度後半に携わった草津市南笠町にある黒土(くろつち)遺跡のすぐそばに鎮座しています。神社自体はさして大きくもない村の鎮守という趣きのものです。
おすすめpoint

写真2「亀の事」石碑
ですがこの話、実は『続日本紀(しょくにほんぎ)』という奈良時代の史書に載っている話なのです。和銅8年(715)8月28日、左京(平城京)に住む高田首久比麻呂(たかだのおびとくひまろ)なる者が、霊亀を献上した。その亀は、長さ七寸、闊(ひろ)さ六寸、左の眼は白く、右の眼は赤い。頸(くび)には三公、背には七星の紋様がある…(後略)という代物です。ちなみに三公とは北極星を守る三つの星を指し、七星とは北斗七星のことです。特徴などは若干異なったり省略はされていますが、石碑の説話に登場する亀はこれをモデルとしたに違いありません。『続日本紀』によると、この亀が献上された数日後の9月2日に、元明天皇は元正天皇に譲位して、元号も「霊亀」と改められました。奈良時代には亀にまつわり改元をした例が4回ありますが、これはその最初の例なのです。あとの3回は、「神亀」と「天平」(亀の背中に「天王貴平知百年」と字が書いてあった)、「宝亀」になります。
ここまでですと、地名起源にかこつけて『続日本紀』から盗用してきたようにみえますが、治田神社周辺の遺跡をみると、白鳳寺院の笠寺廃寺があり、7世紀後葉から8世紀前葉には榊差(さかきさし)遺跡や黒土遺跡で大規模な金属生産が行われており、それらに係わるような大型の掘立柱建物も多くみつかっています。また、この両遺跡の中央を貫くように古代官道の一つである東山道(とうさんどう)が通っていました。ただ盗用するだけではない何かしらの理由が同時期頃のこの地域にはあったのではないでしょうか。

治田神社と狼川隧道の位置関係
周辺のおすすめ情報
治田神社から南東へ600mほどのところに旧東海道本線の痕跡があります。現在の鉄道は、狼川の上を越えていますが、当初は天井川である狼川の下にトンネルを掘って通過していたようです。明治33年頃に竣工し、昭和31年頃まで使われていたようで、狼川隧道とか狼川マンポなどと呼ばれています。(写真3)現在残っているのは下り線側だけ、しかも川の両側に坑口が残るだけです。隧道はレンガ積みで、よく見るとなにかねじれた感じがします。これは「ねじりまんぽ」と言い、トンネルが対象物と斜めに交差する時にアーチ部を斜めにねじって石やレンガを積んでいくというもので、構造学的な理由から用いられるそうです。正式には「斜拱渠(しゃきょうきょ)」というとのことです。普通、ねじりまんぽは、トンネル内全体に及ぶものらしいのですが、狼川隧道のねじりまんぽは両側の坑口部のみと珍しいものだそうです。狼川沿いに道路があり、近寄ることもできます。また、見てみたいけど、わざわざ行くのもね、という方も、電車内からみることができます。下り線に乗り、南草津駅を出たら進行方向に向かって左側を見ていてください。あっという間ですよ。ちなみに写真は下り線の車内から撮影したものですが、列車線を走行する新快速に乗ればもっと近くにみることができます。

写真3 狼川隧道
◆アクセス
治田神社までは草津駅発のまめバス(草津市コミュニティバス)草津駅医大線の「治田神社前」下車すぐ。南草津駅西口も経由します。狼川隧道もこのバスで「南笠公民館」で下車するとすぐです。徒歩の場合、南草津駅からどちらも20分ほどになります。
※まめバスは日祝、年末年始運休です。本数も限られるので事前にダイヤをご確認ください。
まめバス路線図・時刻表
(内田保之)