新近江名所圖会 第292回「余呉湖に眠るもうひとつの伝説」

 「余呉湖」は滋賀県の北東部にある長浜市に所在し、琵琶湖の北方に位置します。余呉湖畔には“川並”集落がひっそりとたたずんでいます。湖は“鏡湖”ともいわれ、風のない日の湖面には四季折々の景色が映し出され、風光明媚な場所として知られます。
 この湖に「羽衣伝説」があり、複数の異なる形があることはすでに紹介したところですが(第271回)、今回は余呉湖にまつわるもうひとつの伝説、「菊石(きくいし)伝説」についてお話ししたいと思います。

「目玉石」:竜となった菊石の投げた目玉が当たってできたという凹みがある。

「目玉石」:竜となった菊石の投げた目玉が当たってできたという凹みがある。

 伝説はおおまかに「蛇身の菊石が入水して龍となり、自分を養育してくれた女に片目を与える。その効能を聞きつけたお上が女を通して、もう片目をも差し出させる。両眼をなくして何も見えなくなった菊石は湖の周囲に鐘つき堂を建てて時を知らせるよう頼んで姿を消す」というものですが、複数のバリエーションがあります。この時から湖水は清くとも決して底が見えなくなったとも言われています。また菊石の投げた目玉が当たってできたのが、湖の西にある“目玉石”といわれています。
 この「菊石伝説」は実は「羽衣伝説」とも関わりがあるのです。羽衣伝説について、前回ふれられなかった菊石に関わる部分を中心にみてみましょう。
 余呉湖の羽衣伝説が記載された文献は複数あります。現存する最も古いものは、室町時代に編纂された鎌倉時代末までの年代記『帝王編年記』です。これは失われた『近江国風土記』をもとに記述されたともいわれています。この養老七年(723)の条に、近江国伊香郡余呉郷で伊香刀美と天女の子として生まれたのが、恵美志留・那志刀美の二男と伊是理比咩・那是理比咩の二女と記されています。「恵美志留」は地域の豪族・伊香連の祖「臣知人命」とされており、伊香連は近江にあまたいる古代の豪族のなかで唯一祖先を神とするのです。

「川並」集落:伝説の舞台となった集落と余呉湖。

「川並」集落:伝説の舞台となった集落と余呉湖。

 その後の地域に伝わる『川並村申し伝え』(慶長十七・1612年)には、この地の桐畑太夫と天女の子が後の菅原道真である陰陽丸と菊石で、菊石は湖に入って主となり形身に両眼を抜き、奴婢に渡したとします。天女と混じわり子をなす、という以外は、大きく異なったものとなります。
 この後のものとして『川並村桐畑太夫 由来之事』(宝永五・1708年)、『近江輿地志略』(享保十九・1734年)、『雑話集』(宝暦四・1754年)、『桐畑太夫縁起』(嘉永二・1849年)があります。『雑話集』で織女と男に子ができたとするほかは、どの文書にも天女と桐畑太夫の子として後の菅原道真の生誕が記載されます。一方、菊石については天女の子とするものと、天女ではない桐畑太夫の女との子とするものがあります。いずれも、菊石は龍となり湖の主となって両目を失っています。
 養老年間の記載には、天女伝説は、湖北の古代豪族・伊香連の母方とすることで血統・権威を高める始祖伝承であり、菅原道真も菊石も記されていません。ところが、その後時を経て、道真と菊石が登場します。ここで興味深いのは、道真と菊石が記述されるようになったことに加え、道真は必ず天女の子であることが記載されるのに対し、菊石については天女の子であるとするものと、そうでないものがあることです。また、地域の土豪とみられる桐畑太夫の生業や人となりが異なることのほか、龍に畏敬の念を抱きつつ蛇身であることは忌むべきものであるように変化していく点なども注目されます。
 さらにその後、『大日本地誌大系』(大正四・1915年)では、湖の主である緋鯉が、ときに龍となって天上し、ときに美人となって湖辺をそぞろ歩き、鯉を獲ろうとしていた桐畑太夫につかまり、羽衣を返してもらえず、夫婦となって後の道真が生まれたとしています。菊石の名はみられませんが龍のことは記されており、いろいろな要素がかなり混じり合ったものとなっています。
 このように「菊石伝説」は「羽衣伝説」と関わりがあり、また「羽衣伝説」の記載される複数の文書からは、はじめ伊香連の始祖伝承であった伝説が、時を経て、大きく転じていくのがわかります。
 美しい景色とともに、こうした伝説と周辺の景観・歴史に思いを馳せながら、ゆったりと余呉湖を訪れてみるのも素敵です。

『菊水飴本舗』と北国街道

『菊水飴本舗』と北国街道

<周辺のおすすめ>
みどころ満載の余呉湖周辺ですが、ぜひ訪れたいのが『菊水飴本舗』です。湖の東方の国道365号にほぼ並行して走る北国街道(越前路)沿いに、江戸時代初頭創業というその店舗があります。飴というと固形のものを思い浮かべますが、菊水飴は水飴で、割り箸のような棒にからめて舐めて食べます。現代では食べやすいように砂糖を混ぜた固形のものも製造されています。
享和三年(1803)、伊能忠敬が北近江を測量した際の日記には、坂口村の名物として記されており、代々受け継がれている創業者・平野市助氏の名を冠した「市助飴」として記載されています。
集落名から「坂口飴」という名で売られていたこともあります。「菊水飴」の名で販売されるようになったのは明治18年以降のことです。以前にもふれられていますが、京都醍醐三宝院座主が飴の風味を称えて暖簾とともに和歌を送り“菊水飴”と称すよういわれたことがきっかけということです。店舗に入ると、歴史を感じさせる菊の図柄の暖簾が出迎えてくれます。
江戸時代以来、素朴でやさしい甘さの水飴を求めて、街道をゆく人々が旅の疲れを癒すのに購入したことでしょう。

                                          
◆アクセス 余呉湖
公共交通機関 JR北陸本線 「余呉駅」 下車 徒歩 5分
自家用車 北陸自動車道木之本ICから車で10分

(中川治美)

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