守山市の赤野井湾遺跡は縄文時代から中世にかけての複合遺跡です。琵琶湖総合開発にともなう発掘調査等で、様々な調査成果が得られています。中でも、湖岸から600m沖合の浚渫A調査区からは、縄文時代早期末(約6500年前)の人々の生活の痕跡が見つかりました。現在の水面より約3.5m低い、標高80.8m付近の面が早期末の生活面で、土坑(=穴)群が見つかりました。土坑の大きさは直径1~2m、深さ50㎝前後で、それらのうちの3基は、拳大の焼けた石がたくさん詰まった集石土坑でした。これらの土坑の中の土を水洗して細かい遺物を調査したところ、コイ、フナ、ギギ、ナマズ、スッポン、イノシシ、シカ、鳥類、ネズミ類、爬虫類など様々な種類の魚類・動物類の骨が多数確認されました。この調査区からは当時の鍋である、大ぶりな深鉢も見つかっていますが、このような焼け石が詰まった土坑は、地面を掘りくぼめたところに焼いた石を入れ、大きな葉や木の皮等で包んだ食材を置き、草や木の皮等で蓋をして蒸し焼き調理をしたところとも考えられます。
また、この土坑群の中には、フナ類やコイの頭の骨ばかりが検出される土坑があり、そこでは、漁獲した魚の頭を落とし、保存のための加工(焼干し、燻製など)が行われたものと考えられます。
なお、この調査区の出土遺物で特徴的なものは、漁網等に取りつける石錘がとても多くみられることで、石の錘が使われる以前の土器片を再利用した土器片錘も見つかっています。その一方で、弓矢の先につける鏃(やじり)は少ないことなどを合わせると、生業としては漁撈が主だったものと考えられます。また、魚や動物の骨が多数見つかる土坑が数多くみられること、とりわけ、コイ・フナの骨が多く、しかも普段は沖合に生息する種類のフナ(ゲンゴロウブナ)の比率が多いことなどから、産卵期に湖岸に大量にやってくる魚を対象とした漁撈活動をおこない、捕れた獲物を加工する場所としても機能していたと考えられます。
この土坑群の中でも、特にたくさんの魚類・動物類の骨が出てきた土坑をモデルにした原寸大の模型が、現在、滋賀県埋蔵文化財センターのロビー展示で展示されています。模型とはいえ、実際の土坑から採集してきた石や土も使ってつくられ、今から約6500年前の縄文時代早期末の人々が、捕れた魚や動物などを調理したところを実感できるのではないかと思います。
このほか、県埋文センターのロビー展示では、粟津湖底遺跡から出土した堅果類や骨、入江内湖遺跡から出土した魚類・鳥類の骨をはじめ、調理に関する資料を集めた展示をしています。
出土した道具類や食物残滓だけでは、当時の人々が実際にどのように使い、どんなふうに食べていたのかは、まだまだ分からないことも多いのですが、昔の人々の調理のようすに思いをはせてみませんか。
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