調査員オススメの逸品 第197回 明治のかおり漂う小学校建築-旧柳原学校校舎― 

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旧柳原学校校舎


 滋賀県立安土城考古博物館の所在する近江八幡市には、有名なウィリアム・メレル・ヴォーリスの建築をはじめ、多くの明治・大正・昭和期に建てられた近代建築があります。そして、安土城考古博物館の敷地内にも、明治時代初期の小学校が移築されているのをご存じでしょうか。名称は、旧柳原(りゅうげん)学校校舎といいます。
 旧柳原学校は、もとは高島市新旭町にあった小学校でした。建てられたのは、明治維新をへて、日本が文明開化にむかう明治9年(1876)。新しい学校制度「学制」の発布をうけ、全国に小学校がつくられていくなか、当時の高島郡新儀村の初等科小学校校舎として、地元住民の寄付を得て建てられました。建築を手がけたのは、地元の大工の清水吉平。明治維新以降、役所や病院、ホテルの建築などに、西洋の建築様式が取り入れられますが、小学校建築も、そうした流れのなかで各地に建てられていきます。旧柳原学校校舎を設計・施工した清水吉平は、江戸時代以来の大工の技能をもちながら、そうした新しい時代の流れを受けて、西洋の建築様式をできうる限り学び、柳原学校の校舎に生かしました。
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二階のバルコニー部分


 では旧柳原学校校舎を外観からみてみましょう。建物は2階建、その上層に時報のために太鼓をつるした塔屋をもちます。2階には、バルコニー部分があり、手すりや建具の意匠などに洋風を取り入れています。正面左には、アーチ形をした入り口があります。ここから、建物の中にはいってみます。1階部分には、板の間の空間と畳の和室が3間あります。板の間は、教室や雨天遊技場として使われていたようです。2階と塔屋部分は現在公開してはおりませんが、2階には和室が2間、さらに階段を登ると太鼓のつるされた塔屋にたどり着きます。一通り御覧いただくと、お気づきかと思うのですが、洋風建築とはいえ、和室もあるなど、ところどころに和風の要素が…。これは、神社の社務所建築をベースに古材を活用したためであると言われています。そういう目で、もう一度外観を見てみると、正面右の玄関は妻飾りに木連格子をつけた入母屋造り。神社の社務所であっただろう部分をそのまま用いているところも。
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一階の様子


 明治時代初期、旧柳原学校校舎のように、地元の大工が西洋建築の要素を取り入れて建てた建築を擬洋風建築と言います。有名なところでは、長野県松本市にある重要文化財旧開智(かいち)学校校舎をご存じの方もいらっしゃるのではないかと思います。文明開化の影響は、都市部だけでなく、地方の学校建築にもおよんでいたのです。
柳原学校校舎は、明治39年新儀尋常小学校の設立により、小学校としての役割を終え、区長事務所として使用されていました。その後、貴重な明治の建築は、昭和に入り老朽化が進んでいたようで、昭和32年2月に県指定有形文化財となり、昭和35年には修理工事が行われました。そうしたなか、昭和45年安土の地に「近江風土記の丘」が建設されるにおよび、旧柳原学校校舎は昭和44年11月より翌年3月にかけて解体、「近江風土記の丘」に移築されました。そして、平成4年に滋賀県立安土城考古博物館が開館してからも、博物館の職員で掃除や点検を行なっています。旧校舎内では当時の教科書などを展示しています。
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一階の様子(和室)


 自然豊かな土地柄、公開中の昼間は戸口が開け放たれているため、夏には虫が、秋には落ち葉が舞い込みます。台風の後は、異常がないか等々。おすすめの逸品ならぬ逸棟?ですが、明治時代初期の擬洋風建築の小学校として、安土の地で大切に保存・公開しています。(大槻 暢子)

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