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調査員オススメの逸品 第172回蜜柑の贈り物-安土城考古博物館蔵「六角承禎書状」
現在も、お中元やお歳暮といった年中行事で、あるいは人の誕生や成人・婚姻などの祝儀やお見舞い等のさいに、人から人へ贈り物が受け渡されます。それらの多くは、社会のなかで、人と人とが円滑な関係を結ぶための機能を果たしてきました。
こうした贈り物が中世にも行われていたことが残された歴史資料からうかがえます。今回ご紹介するのは、滋賀県立安土城考古博物館蔵「六角承禎書状」です。この書状は年代が記されていませんが、六角義賢が弘治3年(1557)に息子義治に当主の座を譲り、出家して承禎と名乗りを代えた後のもので、その承禎が守山寺から蜜柑一籠をもらったことに対して礼を述べている礼状にあたります。守山寺は、現在も守山市の旧中山道沿いにある天台宗の東門院と考えられています。
蜜柑といえば現在は冬場の果物の定番、一般的な果物となっていますが、日本の歴史上に登場したのは室町時代になります。将軍への進上品としても蜜柑は喜ばれたようで、特に蜜柑が好物だった将軍義持に贈るために、不作の年でも人々は奔走して蜜柑を集めて進上したようです。このようなことからも推測されるように、蜜柑は室町時代には希少な果物の一つでした。戦国時代に入っても、大名間で蜜柑は贈答品として喜ばれる品だったようです。
蜜柑の栽培は寺の境内や屋敷地などでも行われており、「六角承禎書状」についても、守山寺の境内で栽培されていた蜜柑が一籠進上されたのかもしれません。
こうした館蔵資料等は常設展示室でご覧いただくことができます。蜜柑の礼を述べている「六角承禎書状」は、第二常設展示室の六角氏を紹介するケース内で本年(平成27年)9月3日より10月30日まで展示していました。現在は、承禎の息子の義治の書状で土豪市川氏から蓮根を贈られたことに対する礼状を展示しております(12月27日まで)。
博物館に収蔵される作品、特に紙などに書かれた文書資料や絵画作品は、作品保護のため長期間の展示は避けなければなりません。そのため、常設展示室は、展示のテーマは一貫しつつもモノそのものは常に入れ替わっております。一度来て頂いた後に、もう一度(2ヶ月後くらい)に常設展示室を見学いただけましたら幸いです。何度も足を運んでいただくと、興味あるテーマについての実物資料をより多くご覧いただけます。(大槻暢子)