調査員オススメの逸品第171回 木でつくられたハニワ-彦根市塚乞手古墳-

写真1 木製埴輪の出土状況

写真1 木製埴輪の出土状況


写真2 塚乞手古墳から出土した土の埴輪(後列5点)と木の埴輪(前列4点)

写真2 塚乞手古墳から出土した土の埴輪(後列5点)と木の埴輪(前列4点)


写真3 鳥形の木製埴輪

写真3 鳥形の木製埴輪


 遺跡から出土する遺物のなかで、最も知られたもののひとつに埴輪があります。どのようなものかわざわざ説明をするほどもないほど、みなさんがそのもの自体をイメージできることと思います。あえて簡単に説明をさせていただければ、古墳を飾り立てるために墳丘上や裾などに並べた土製品で、大きく分けて筒状の形をした円筒埴輪と、人物や動物、家、器財などを象った形象埴輪があります。
 これらの土でできた埴輪に対して、一般的にはあまり知られていませんが、木製埴輪というものがあります。この木製埴輪も土で作られた埴輪と同じように、墳丘などに樹立され古墳を飾り立てていました。もっとも埴輪とは、「埴」という漢字が表すように、また、『日本書紀』垂仁紀に、野見宿禰(のみのすくね)が殉死者を埋める代わりに土で作った人や馬、種々の器物を立てることを発案したとあるように、埴輪とは粘土を焼いて製作した土製品なのです。そのため木で作られたものを「埴輪」と呼ぶのはいかがなものかという意見もあり、研究者によっては「木製立物」・「木製樹物」・「木製葬祭具」・「木製葬具」など様々な用語が提唱されていますが、一般的にはわかりづらいため、ここではあえて「木製埴輪」という用語を用いることとします。
 今回紹介するのは、彦根市肥田町に所在する塚乞手(つかごえで)古墳から出土した鳥形と笠形の木製埴輪です。この塚乞手古墳は、平成19年度の発掘調査によって新たにみつかった6世紀前半の古墳です。この古墳の周辺には、肥田城という室町時代後期の城跡があったことが知られていて、この一帯には城を水攻めした際に築かれた堤の痕跡を地表面にとどめていましたが、残念ながら農地改良工事によって消失してしまいました。そのようなこともあって、発掘調査はこの肥田城に係わる遺構の検出を主眼におき進めていました。ところが、肥田城の中心部より離れ、城関係の遺構や遺物がみられなくなったあたりにおいて、古墳の周濠と考えられる遺構がみつかりました。狭い範囲での調査であったため、古墳の形や大きさについては明らかにできませんでしたが、埴輪が多量に出土したため古墳の周濠と判断しました。検出した状況からみて、この古墳は調査地北側へ拡がっているものと判断されます。この古墳が見つかった水田は、「塚乞手」という小字名がついており、この「塚」地名からもかつてここに古墳があったことがうかがえます。この地名より「塚乞手古墳」と名付けられました。
 木製埴輪は、周濠の底面近くから埴輪などとともに出土しました(写真1)。出土したのは、鳥形1点、笠形1点のほか、これらを立てた時に支柱として使用したと考えられる角材1点です(写真2)。
 そもそも木製埴輪とはどういったものかというと、近畿地方を中心に5世紀前半から6世紀前半に築かれた古墳から埴輪と一緒に出土しており、現在のところ約40基から出土したことが知られているのみです。ちなみに滋賀県では湖南地域を中心に9基の古墳から出土していて、これは奈良県の21基の古墳に次いで多いのです。
 土で作られたおなじみの埴輪にもさまざまな形を象ったものがあるように、木製埴輪にも鳥形や侍者が貴人にさしかける蓋(きぬがさ)を象った笠形、武器武具を象った盾形・太刀形などがありますが、埴輪に比べたらバリエーションは少ないようです。これらのなかでも笠形が最も多く出土し、次いで鳥形、武器武具などはあまり多くないようです。
 それでは塚乞手古墳出土の木製埴輪の特徴をみてみましょう。鳥形は、現存する長さ59cm、頭部最大幅13cm・厚さ14cm、胴部最大幅20.5cm・厚さ12.4cm、尾羽部最大幅21cm、厚さ6cmとなります。片側の側面と尾羽の先端が腐蝕により欠損していますが、復元すると胴部最大幅22.5cm、尾羽部最大幅24cm、全長60cmほどになります。数値を並べ立ててもまったくイメージがわかないと思いますが、写真3を見てください。かなりずんぐりむっくりしています。奈良県などで出土している鳥形は、もっとスリムで、猛禽類を想像させるようなフォルムを持っており、かっこいい感じがします。また、栗東市狐塚3号墳から出土したものは、長い首を持つことから水鳥と想定されていますが、これもまた流麗な感じがします。ところが塚乞手古墳のものはどうみても私には鳩とかムクドリにしかみえません。鳩やムクドリが悪いというわけではないのですが、やはりかっこいい鳥や流麗な鳥にあこがれます。冗談はさておき、この鳥形、使用木材は杉で、胴部には支柱を挿入したと考えられる方孔が上下に貫通し、背面(上面)には幅24cm、深さ1.5cmの浅い仕口が施されていることから、別作りの翼を装着したものと推定されます。残念ながら翼についてはみつかりませんでした。この形状から空を飛んでいる鳥を象ったものと考えられます。笠形は直径27cmの円形で、高さは8cmになります。中央に鳥形と同じように方孔が上下に貫通しており、また一部に焦げた痕跡がみられます。使用木材は杉です。鳥形・笠形ともに全出土品中では小型の部類となります。
 木製埴輪は、5世紀前半頃に河内(大阪府)の大王墓の造営にともなって新たに考案されたものと考えられていて、その後、大和(奈良県)の古墳へ分布の中心が移っていくとともに、近江(滋賀県)にも湖南地域を中心に分布するようになります。木製品という腐朽しやすい材質のためその出土の多寡が必ずしも実態をあらわしているわけではないということを差し引く必要がありますが、それでも滋賀県での出土事例が奈良県に次いで多いということは、大和の木製埴輪を持つ古墳に葬られた人物となんらかの結びつきを持つ人物が、他地域より近江には多く存在したことを物語っているのではないでしょうか。また、同一の古墳群や付近の古墳との間に木製埴輪を持つ古墳と持たない古墳が存在します。このようななかでの木製埴輪の有無は、被葬者の性格を知る手がかりにもなるかもしれません。
 ちなみに塚乞手古墳から出土した木製埴輪はどちらも杉を用いていましたが、これまでに出土している木製埴輪に使用されている樹種は、その大半がコウヤマキとなっています。コウヤマキは古墳時代前期には木棺として用いられるなど、葬祭には特別に意識して用いられた樹種となっています。しかし、塚乞手古墳では杉が使われていました。原材料としてコウヤマキを手に入れることができなかったのでしょうか。あるいはコウヤマキを使うべしということを知らなかったのでしょうか。
 これらの木製埴輪が出土した塚乞手古墳については、現地説明会を開くことができませんでしたが、発掘調査終了後に、お披露目すべく記者発表を行いました。「彦根市の遺跡から鳥が出た」という感じで私は記者発表に臨みました。実はこの日、彦根市内の松原水泳場で「鳥人間コンテスト」が開催されていたのです。鳥つながりということで、記者発表の日をわざわざこの日に設定したのですが、そんな私のくだらない思惑もむなしく、これに関してはまったく相手にもされず、淡々と新聞記事になりました。(内田保之)

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