調査員のオススメの逸品 №253 栗東市蜂屋遺跡の法隆寺式軒瓦

栗東市の蜂屋遺跡では、平成30年度の発掘調査において寺域の西辺を区画するとみられる溝跡が見つかり、そこから多量の瓦が出土するなど、古代寺院跡の存在を確実視できる成果が得られました。これについては、現地説明会において調査成果の一部を公開したほか、新聞やテレビでも大きく報じられたことから、すでにご存じの方も多いと思います。

今回紹介するオススメの逸品は、蜂屋遺跡から出土した法隆寺式軒瓦です(写真1)。蜂屋遺跡から出土した瓦は、大半が飛鳥時代後半(白鳳期=7世紀後半頃)のものです。このうち軒瓦は大半が奈良県生駒郡斑鳩町にある法隆寺の西院伽藍を創建するにあたって用いられた軒瓦と共通の文様をもつ法隆寺式軒瓦でした。瓦の出土量からみて、この寺院跡には法隆寺式軒瓦が主体的に葺かれていたことがうかがえます。

写真1

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写真2

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飛鳥時代後半には、大和の大寺院で用いられた瓦と共通の文様をもつ瓦が地方寺院でも採用されるようになります。法隆寺式軒瓦の各地への拡がりをめぐっては、その背景として、これより以前に、法隆寺の庄倉が軒瓦の分布のみられる地域に置かれており、瓦の移動には法隆寺の庄倉経営に協力した在地豪族の活動との関係を想定する学説もあります。

天平19年(747年)の奥付がある『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』(法隆寺の財産目録)には、蜂屋遺跡が所在する栗東市北部(栗太郡物部郷)に、奈良時代に法隆寺の水田や庄倉があったことが記されています。今回、そうした場所で、法隆寺式軒瓦を主体的に葺いたとみられる寺院跡が見つかったことは、その歴史的背景を考えるうえでも注目されます。

すなわち、栗太郡物部郷は、その名が示すように、当初は物部氏の領地だったと考えられます。587年、仏教の礼拝をめぐって物部守屋と蘇我馬子が戦った時(丁未の変)、厩戸皇子(聖徳太子)は馬子側に立って参戦し、守屋を滅ぼしました。このとき、守屋の遺領の一部(栗太郡物部郷など)が厩戸皇子の所領となり、それがのちに皇子建立の法隆寺に施入されたと推測されるのです。

今回紹介した法隆寺式軒瓦は、調査員のオススメの逸品第248回で紹介されている法隆寺同笵の忍冬文単弁蓮華文軒丸瓦と合わせて、蜂屋遺跡の寺院と法隆寺との関わりの深さを示すものといえます。
宮村誠二

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