調査員のおすすめの逸品151「羊形硯」

 『魏志倭人伝』に「その地に牛馬虎豹羊鵲なし」としるされているとおり、日本列島にはもともと羊はいませんでした。羊に関する最古の記録は、推古天皇7年(599)に朝鮮半島の百済からラクダやロバとともに羊(ヒツジ)が贈られたとする『日本書紀』の記述です。つまり、羊は、6世紀頃に朝鮮半島からあらたに持ち込まれた動物なのです。
 その後、平安時代の弘仁11年(820)に新羅からの朝貢品とし鵞鳥とともに「山羊」・「黒羊」・「白羊」がもたらされたという記録など、いくたびか日本列島に羊がつたえられた史料があります。しかし、羊が本格的に飼育されたような形跡はなく、家畜として根付かなかったようです。
 さて、奈良時代に律令体制が成立すると、情報の発信や記録等のために文字が急速に広まっていきます。役所間のやりとりや、税の納付手続きといったさまざまな書類が作成されるようになり、日本列島は本格的な文字社会に突入しました。当然ながら、筆で紙や木簡等に文字をしるすために、墨・筆・硯といった「文房具」が必要となってきます。当時、役人や僧侶がおもな文字の使い手でしたから、彼らが居住した役所跡や寺院跡からはさまざまな形の硯が出土します。
 今回は、そうした出土した硯のなかから、羊をかたちどった硯を紹介しましょう。ちなみに、このような動物等をモデルとした硯を「形象硯」とよび、そのなかでも羊をモデルとしたものを羊形硯とよんでいます。

羊形硯(左:関津遺跡出土、中央・右:平城京跡出土)

羊形硯(左:関津遺跡出土、中央・右:平城京跡出土)


 この羊形硯は,大津市関津遺跡で出土しました。羊形硯は出土例が少なく、奈良県平城京跡・三重県斎宮跡・京都府樋ノ口遺跡・岡山県ハガ遺跡・愛知県白鳥遺跡で類例が知られている程度で、しいていうなら「珍品」の部類にはいります。
 羊形硯の代表例は、やはり当時の都であった平城京跡からの出土品でしょう。この硯は、角や顔の周りの毛など、羊の特徴が実にたくみに表現されています。おそらく、本物の羊を見たことがある須恵器工人が特別な発注を受けて作ったのでしょう。
一方、関津遺跡から出土した羊形硯は、一見すると「龍」のようにも見えますが、平城京跡出土の羊形硯がより簡略化されたとみるべきでしょう。となると、この硯を作った工人は本物の羊を見たことがなかったようです。
 羊形の硯は類例が少ないので、不明な点の多い遺物なのですが、出土した遺跡はいずれも役所などの公的施設に関連する遺跡と考えられています。当時、下級の役人の硯は須恵器の食器(お椀やその蓋)転用した転用硯が通有でしたから、このような特注品を使用したのは比較的高位の役人であったと考えられます。
 それでは、なぜ羊をモデルにしたのでしょうか。この点を上手く説明できないのですが、西アジアや中国では羊が霊獣として崇められることもあったので、シルクロードの終着点である日本にもその影響がおよんだともかんがえられます。
 大陸から持ちこまれた羊を実際に見た経験のある人は、奈良時代にはそうそう多くなかったはずです。羊形硯を前にした官人たちは、遠く西方からきた「羊」なる不思議な獣についてどんな会話を交わしていたのでしょうか、想像はつきません。
(藤﨑高志)

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