
帯状銅釧の垂飾(手のひら上が出土品・手首がレプリカの装着例)
一方、むかしのお土産事情はどうだったでしょうか。記録がほとんど残っていない原始・古代に人々が遠くへ旅したことや、そこからモノを持ち帰ったことを明らかにするのは、簡単ではありません。しかし、時として、旅の「お土産」としか思えないような遺物が出土することがあります。今回紹介する逸品は栗東市十里遺跡の発掘調査で出土した旅の「お土産」です。
その逸品は、滋賀県よりもずっと東の遠隔地から運ばれてきた青銅製のペンダント(垂飾:すいしょく)です。平成17年度に実施しました発掘調査では、弥生時代後期~古墳時代前期頃の建物・井戸・河川などが見つかりました。このペンダントは弥生時代末~古墳時代前期頃の河川から出土しており、長さ4.6cm以上・幅1cm・厚さ1㎜の湾曲した板状品、上端に小穴が一つあけられていました。形からみて、帯状銅釧(おびじょうどうくしろ)というブレスレットの破片を加工して作られていました。

帯状銅釧の垂飾が出土した河川跡(十里遺跡)
こうした不思議な遺物である帯状銅釧は、破片なども含めると、約100遺跡から350点ほどの出土が知られています。ところが、静岡県以西の地域では、十里遺跡と愛知県朝日遺跡の2点出土しか知られていません。ですから、十里遺跡のペンダントは、愛知県・岐阜県などの伊勢湾周辺地域のムラとの物々交換や商取引によってもたらされたものとは考えにくく、伊勢湾地域を飛び越えるように、おもな分布域(関東・長野県・静岡県東部)から直接滋賀県へ運ばれたとみられます。おそらく、東方の遠隔地の人々がこの地を訪れた際に誰かにプレゼントしたか、十里遺跡の住民が彼の地へ旅して手に入れたものだったのでしょう。つまり、「お土産」としてこの地に運ばれた可能性がきわめて高いのです。

破鏡のペンダント
(北原 治)