
膳所城下町・ねこ
野良仔ちゃんもいるけれど、いまや猫は家族の一員。諸事情で猫と暮らせない人のために猫カフェも誕生しました。マツコ・デラックスさんが三毛猫に扮するドラマや、『猫侍』など猫がキャストとして欠かせない映画・ドラマもあります。彦根市のゆるキャラ“ひこにゃん”や和歌山電鉄志紀駅の“たま駅長”、県内には湖南市の仮想都市“こにゃん市”の猫市長もいます。猫好きがそそられる話は、昨今事欠きません。猫は、いつから我々の身近にいるようになったのか、書物や絵画、出土品にみえる猫をたどってみましょう。
明治時代には、最近没後百年で話題の文豪・夏目漱石が『吾輩は猫である』を記し、ペストが大流行したときには破傷風の治療で著名な細菌学者・北里柴三郎が猫の有用性を説きました。江戸時代後半には、ひこにゃんのモデルで、彦根二代藩主・井伊直孝を落雷から救ったと伝えられる東京都世田谷区・豪徳寺の招き猫の話がありますね。ちなみに、縁起が良いとされ貯金箱や置物としてもなじみの深い招き猫は、江戸時代後半に発祥とされるお尻に「○〆」印のある“丸〆猫”が始まりともいわれています。無類の猫好きとして知られる歌川国芳をはじめ江戸時代の浮世絵には、様々な表情の猫がたくさん登場します。さらに日光東照宮の国宝“眠り猫”は、江戸時代初期の伝説の名工・左甚五郎作と伝えられています。まだまださかのぼれそうです。

石山寺縁起・猫
現在のイエネコのルーツは野生のリビアヤマネコともいわれてきました。紀元前3000年頃、エジプトで家畜化されたといわれ、頭部が猫の女神“バステト”もよく知られています。最後の女王クレオパトラに象徴されるプトレマイオス朝が紀元前30年頃に滅亡するとともに、門外不出だった猫が世界各地に拡散していったともいわれており、この過程でネズミ駆除のためキャラバン(隊商)と共に東へ広がった猫が日本にもたらされたと推定されます。ただ2004年、地中海に浮かぶキプロス島で約1万年前の遺跡から、人と一緒に埋葬された猫の骨が発掘されました。猫と人との関わりはさらにさかのぼれそうです。
近年、国内でも、兵庫県見野古墳群から6世紀末~7世紀初頭の須恵器杯身の内面に猫の肉球と思われる足跡が発見されました。また、長崎県壱岐市カラカミ遺跡から紀元前1世紀頃、弥生時代中期の猫の骨がみつかり話題を呼びました。それ以前の縄文時代の遺跡からもネコの骨が確認されていますが、現在日本にいるイエネコのルーツとは異なるようです。いずれにしろ、猫と人との付き合いは随分前からといえます。
安土城考古博物館で出会った膳所城下町の素朴な土製猫は、猫への一層の愛着とともに、愛する猫達が歴史に残した痕跡と、人との関わりを改めて感じさせてくれた“逸品”です。こんな愛らしい猫の様々な痕跡に出会えたら!展示ケースの前で妄想したひとときでした。
(中川治美)