調査員のおすすめの逸品 №338《滋賀をてらした珠玉の逸品⑮》近江から東国へ…縦置型一本作りの瓦ー榿木原遺跡出土の複弁蓮華文軒丸瓦ー

写真1 瓦当面

写真1 瓦当面

 
写真2 瓦当裏面

写真2 瓦当裏面

榿木原(はんのきはら)遺跡は大津市南志賀一丁目に所在する、飛鳥時代後期と奈良時代から平安時代にかけて操業していた瓦窯跡です。榿木原遺跡は昭和14年にはじめて調査され、瓦窯自体は発見できていないものの、南滋賀廃寺(みなみしがはいじ・大津市南志賀一・二丁目)の主要伽藍(しゅようがらん)で用いられた複弁蓮華文軒丸瓦や方形瓦と同じ文様の瓦が見つかっています。
 その後、昭和49年から昭和54年まで、西大津バイパス建設工事に伴って本格的な発掘調査が実施されました。調査の結果、飛鳥時代後期から平安時代にかけての窯跡10基や掘立柱建物跡・池・粘土溜などが見つかっています。そのうちの登り窯5基が飛鳥時代後期(大津京の時期)に、残りの平窯5基が奈良時代から平安時代かけて操業していたことが判明しています。掘立柱建物跡などは工房跡と考えられており、飛鳥時代後期から平安時代にかけて、瓦窯と工房は重複しながら存続していたことが分かっています。

 今回ご紹介するのは昭和49年2月から4月まで行われた調査で出土した複弁蓮華文軒丸瓦(ふくべんれんげもんのきまるがわら)―報告書中ではⅠA01型式―です。いわゆる川原寺(かわらでら)式軒丸瓦で、瓦当面(がとうめん)は、幅の狭い互い違いのノコギリの歯のような外縁(面違鋸歯文・めんたがいきょしもん)をもち、一枚の蓮弁(れんべん)に子葉(しよう)が2つある複弁蓮華文で、子葉の間を通る花弁中軸の隆起が明瞭に表れています。間弁(かんべん)はY字状を呈し、中房(ちゅうぼう)まで伸びています。中房には1+5+9で蓮子(れんじ)が配置され、外側2周の蓮子には圏線が施されています(写真1)。この瓦の年代観としては670~680年代が与えられています。

図2 軒丸瓦の部分名称「瓦(ものと人間の文化史100)」より

図1 軒丸瓦の部分名称「瓦(ものと人間の文化史100)」(2001)法政大学出版局より転載

写真3 瓦当周縁部

写真3 瓦当周縁部


 川原寺は奈良県高市郡明日香村に所在した寺院で、天智天皇が母親の斉明天皇の冥福を祈るために建立しました。川原寺式軒丸瓦は近江国内では琵琶湖東岸を中心に31遺跡から出土しています。この遺跡数からしても、瓦当文様だけであればそれほど珍しい瓦ではないことがわかります。例えば、いわゆる法隆寺式の軒瓦であれば県内で9遺跡しか出土していません。

 この瓦の珍しい点は瓦当の裏面と側面にあります(写真2・3)。瓦当裏面は絞った布の痕跡が残り、その周縁部が一段高くなっています。また側面には叩きしめた痕跡が残っています。これは「縦置型一本作り」という技法を用いて作られた瓦である痕跡となっています。通常、軒丸瓦は瓦笵(がはん)に粘土を詰め込んで、別に用意しておいた丸瓦を接着して作ります(「接着法」もしくは「印籠(いんろう)継法」・図2-1、2-2)。

図1 軒丸瓦模式図

図2 軒丸瓦模式図


 縦置型一本作り法(図2-3)は、天智天皇の時代に南滋賀廃寺系列の川原寺式軒丸瓦として生まれました。しかし、近江国内では、9遺跡にしか分布していないことから国内での伝播は限定的だったことがうかがえます(北村2019)。近江では限定的ですが、東山道を通じて飛騨・信濃・甲斐、そして上野(こうずけ)・常陸(ひたち)と東へ伝わっていきます。平安時代以降、東海道・東山道・北陸道の3本の官道が近江国を通過し、交通の要衝・東国への入り口となった近江国ですが、瓦の技法からも地域間交流がうかがえます。
(福井知樹)

<参考文献>
北村圭弘2019「軒丸瓦の瓦当紋様と製作技法の伝播」『紀要』第32号 公益財団法人滋賀県文化財保護協会
滋賀県教育委員会・財団法人滋賀県文化財保護協会1975『榿木原遺跡発掘調査報告』
滋賀県教育委員会・財団法人滋賀県文化財保護協会1981『榿木原遺跡発掘調査報告Ⅲ』

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