調査員のおすすめの逸品 №337《滋賀をてらした珠玉の逸品⑭》渡来銭とニセ金ー矢橋湖底遺跡・矢橋港跡の銭貨ー

 矢橋湖底遺跡・矢橋港跡は、草津市の琵琶湖沿いに広がる遺跡です。矢橋湖底遺跡では、潜水調査や水中での試掘調査が行われ、おもに縄文土器が出土しました。矢橋港跡は、古代から近世の港跡とされ、発掘調査では近世以降に造られた突堤の石積みや、近世の陶磁器などが見つかりました。

写真1 出土した熈寧元寶

写真1 出土した熈寧元寶


 この2遺跡から出土した銭貨のほとんどは江戸時代に発行された「寛永通寶(かんえいつうほう)」ですが、その他には「皇宋通寶(こうそうつうほう)」「祥符元寶(しょうふげんぽう)」など、さまざまな文字が刻まれた銭貨がありました。これらの銭貨は渡来銭(とらいせん)といい、中国や朝鮮などの外国から入ってきたものです。写真1に示しているのはともに「熈寧元寶(きねいげんぽう)」という渡来銭で、9世紀に中国(北宋)で発行されていました。向かって左の銭貨は右に比べ文字が太くつぶれて読みにくくなっていますが、これには主に2つの原因が考えられます。1つは多くの人の手を介することで銭貨が擦り切れていったこと、もう1つはこの銭貨が私鋳銭、すなわちニセ金であるということです。ニセ金が作られる経緯はのちほど説明しますが、ニセ金は①薄く小さく軽い、②文字が太く読みにくい、③銭貨の周辺や中央の穴にバリ(不要な出っ張り)が残る、などの特徴があります。
 鎌倉時代から安土桃山時代の日本は、江戸時代以降と異なり公の通貨を独自に作っておらず、渡来銭を通貨として使っていました。通貨を渡来銭に頼っている以上、日本で銭貨が足りなくなってもすぐに増やすことができません。そこで、人々が勝手にニセ金を作ることで、銭貨不足に対応しようとしました。
 銭貨は、鏡などと同じ鋳物の一種で、高温に溶かした金属を鋳型に流し込んで作ります(写真2)。
写真2鋳物体験

写真2鋳型から鏡を作る様子(鋳物体験)

鏡の鋳型については「調査員のおすすめの逸品第157回」で詳しく紹介していますが、銭の鋳型は、原型となる銭(種銭)を砂や粘土に押し付けて型をとり、これを焼き固めて作ります。鋳型は焼き固めることによって縮むため、完成する銭貨は種銭より薄く小さくなり、凹凸も少なくなります。本来、それを見越して種銭には流通する銭貨より大型で凹凸のはっきりしたものが用いられます。しかし、国内でのニセ金作りの場合は流通している銭貨が種銭に用いられる上、できたニセ金を種銭としてさらに新たなニセ金を作る…といったことを繰り返していくため、作られるニセ金はどんどん薄く小さくなるほか、平坦で文字が太くなり、やがて文字がつぶれて読めなくなります。矢橋(やばせ)湖底遺跡・矢橋港跡からは出土していませんが、こうしたニセ金作りをさらに繰り返した結果、できる銭貨は凹凸が完全になくなった無文銭(むもんせん)になり、果ては銭というより輪っかに近い「輪銭」(わせん)になります。

 ここで紹介した銭貨は、現在、滋賀県埋蔵文化財センターで11月18日(金)まで開催している(土日祝休館・9/4までは無休)「滋賀をてらした珠玉の逸品たち-スコップと歩んだ発掘50年史-」にて展示されています。実物で2枚の銭貨を見、その違いを探してみてください。(森田真由香)

<参考文献>
滋賀県教育委員会他2013『琵琶湖東南部草津川地域の湖底・湖岸遺跡 第1分冊(本文編)』琵琶湖開発事業関連埋蔵文化財発掘調査報告書12
鈴木公雄1999『出土銭貨の研究』東京大学出版会
東北中世考古学会編2001『中世の出土模鋳銭』高志書院
永井久美男編1994『中世の出土銭-出土銭の調査分類-』兵庫埋蔵銭調査会
永井久美男編1996『日本出土銭総覧』兵庫埋蔵銭調査会
 

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