調査員のおすすめの逸品 №336《滋賀をてらした珠玉の逸品⑬》ー大津市穴太廃寺遺跡の輻線文縁軒丸瓦ー

 平成30年の夏、私は栗東市の蜂屋(はちや)遺跡において思いがけず古代の寺院に関連する遺構や遺物を調査する機会に恵まれました。

図1 穴太廃寺遺構図

図1 穴太廃寺遺構図


 発掘調査では、寺院の屋根に葺かれていた夥しい数の瓦が出土しました。このうち、建物の軒先に用いられた軒瓦は、大部分が奈良県生駒(いこま)郡斑鳩(いかるが)町にある法隆寺の軒瓦と共通の文様をもつ法隆寺式軒瓦であり、法隆寺と関わりの深い寺院であったことが窺えました。
 日々、発掘調査に従事していてもなかなか巡り合うことのできない「大発見」に心躍らせたことが昨日のことのように思い出されます。
 それ以来、私は近江の古代寺院に強い関心を抱いてきました。今回ご紹介するのもそうした古代寺院の一つ、大津市の穴太廃寺(あのうはいじ)から出土した瓦です。難読ですが、「穴太」と書いて「あのう」と読みます。寺院跡は、飛鳥時代(667年)に天智天皇が営んだ大津宮の北北東約2.5㎞に位置します。ここでは、昭和59年(1984)に滋賀県教育委員会と当協会が実施した発掘調査において、同一地点に方位を違えて建て替えられた新旧の伽藍跡(創建寺院と再建寺院)が見つかりました【図1】。創建寺院は主軸方位を真北から35度東に振っており、再建寺院は真北から2.5度東に振っています。創建寺院の主軸方位は古代の官道(※)である北陸道のルートによって規制を受けたとする説があり、再建寺院の主軸方位は大津宮の方位に合わせて建て替えられたとする説が有力視されています。
 逸品は、創建寺院に葺かれていたと見られる輻線文縁軒丸瓦です【写真1】。軒丸瓦の縁の部分に、瓦の中心から放射状に伸びるタイヤのスポークのような文様(輻線文)があしらわれていることから、このように呼ばれています。
写真1 穴太廃寺の輻線文縁軒丸瓦

写真1 穴太廃寺の輻線文縁軒丸瓦


 蜂屋遺跡において、出土した軒瓦の文様を手がかりとして法隆寺との関係を推測したように、軒瓦の文様は、寺院を造営した氏族や寺院どうしの関係性を考える上で、重要視されています。輻線文縁軒丸瓦(ふくせんもんえんのきまるがわら)は、滋賀県内での出土例が多いことが知られており、とくに大津京域の古代寺院跡において多く出土しています。こうした寺院の造営氏族には、これまでの研究で渡来系氏族を想定する意見が多く出されています。穴太廃寺についても渡来系氏族である穴太村主(すぐり)が造営した氏寺とみる意見があり、輻線文縁軒丸瓦は、とくに渡来系氏族によって造営された寺院において採用された可能性があるのです。
 冒頭で述べたように、法隆寺式軒瓦の出土によって法隆寺とのひとかたならぬ関係が注目される蜂屋遺跡の古代寺院ですが、実はここでも輻線文縁軒丸瓦が数点見つかっています【写真2】。寺院を造営した氏族は、法隆寺と関わりの深い渡来系氏族だったのでしょうか。穴太廃寺をはじめ、輻線文縁軒丸瓦を採用した他の寺院との関係も気になるところです。
 ※官道(かんどう);国家によって整備・管理・維持された道路。中央と地方とを結ぶための幹線道路。
(宮村誠二)

【図・写真の出典】
 図1:滋賀県立安土城考古博物館2008『仏法(ぶっぽう)の初め、玆(これ)より作(おこ)れり―古墳から古代寺院へ―』図36
 写真2:滋賀県文化財保護協会2019『レトロ・レトロの展覧会初夏の特別ミニ陳列法隆寺から伝来した近江の瓦』

写真2 蜂屋遺跡の輻線文縁軒丸瓦

写真2 蜂屋遺跡の輻線文縁軒丸瓦

◇◇穴太廃寺遺跡の軒丸瓦は、2022(R.4)年夏から秋の当協会の展示『滋賀をてらした珠玉の逸品-スコップと歩んだ発掘50年史-』で滋賀県埋蔵文化財センター1Fロビーにて展示されます。会期:7月23日(土)~11月18日(金)(土日祝休館・7/23~9/4の期間は無休)。ぜひ見に来てください。

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