調査員のおすすめの逸品 №335《滋賀をてらした珠玉の逸品⑫》何に使われた土器でしょう?ー守山市服部遺跡の手焙り(てあぶり)形土器ー

 服部(はっとり)遺跡は守山市服部町にある遺跡です。もとは南北に分かれて流れる野洲川の旧河道の間にある遺跡ですが、現在は遺跡の中心を新しい野洲川の河道が通っています。
 服部遺跡の調査は、南北に分かれて流れる野洲川の氾濫から周辺の集落を守ることを目的とし、安全な流れにするために、南北両流路の真ん中を通る場所に新たな河道の建設が計画されました。発掘調査は昭和49年(1974年)以降に実施され、弥生時代前期(約2500年前)の水田跡や中期(約2100年前

写真1 服部遺跡出土・手焙り形土器1

写真1 服部遺跡出土・手焙り形土器1

)から古墳時代前期(約1600年前)の方形周溝墓群(ほうけいしゅうこうぼぐん)などが検出され、奈良時代の「乙貞」の銅印や多量の銅銭なども見つかりました。
 今回取り上げる土器は写真のような形をしており、一風変わった土器です。この土器を私たちは手焙形土器と呼んでいます。何故「手あぶり」なのでしょうか? (写真1・2)
 手あぶりとは火鉢のことで、その中に炭などを入れて手を温める道具です。奈良時代頃から使用されたといわれていますが、平安時代の『枕草子(まくらのそうし)』にも「火桶(ひおけ)」として使用されていたことなどがわかります。
 この形を説明するために、土器を上下に分けて説明しましょう。
 土器の下半分は考古学的な用語でいえば「鉢(はち)」の形をしています。土器の断面が数字の「3」に似ており、近江独特の「受口」の形をした土器です。これを我々は「受口状口縁(うけぐちじょうこうえん)」の土器(この場合は鉢)と呼んでいます。この形の鉢は弥生時代後期(約1900年前)から古墳時代前期(約1600年前)に作られていた土器です。
 土器の上半分は半円形のドーム状をしており、ベビーカーにつけられているフードのようなもので「覆部(おおいぶ)」と呼んでいます。このような覆部がある土器はあまり例がなく、珍しい形をしています。
 手焙形土器の中には覆部の内面が黒く変色しているものが見られます。黒い色は煤(すす)のような物質が付着したものと思われます。土器の中で火を焚いて手を温めたと考えた昔の考古学者が手焙形土器と名付けました。すべての土器にあるわけではないのですが、煤のような物質が付着していたためにそう呼ばれているのです。
写真2 服部遺跡出土手焙り形土器2

写真2 服部遺跡出土・手焙り形土器2


 また、手焙形土器には覆部の外側に波状文(はじょうもん)や鋸歯文(きょしもん)などの文様が飾られたものや竜と考えられる絵画が見られるものがあります。そのため、葬送儀礼(そうそうぎれい)や特殊な宗教儀式などに用いられたとする考えもあります。
 変わった形をしているために、手焙形土器は未だに用途が確定していません。この写真や、本物の土器を間近で見て皆さんもぜひ用途について考えを巡らせてみてはいかがでしょう。
 (三宅弘)

<参考文献> 守山市2005『守山市誌』考古編

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