調査員のおすすめの逸品 №328《滋賀をてらした珠玉の逸品⑤》日本ではんこ文化が始まったころー高島市鴨遺跡出土銅印ー

 印章は、一般的には「はんこ」とよばれます。会社や個人などが所有し、役所に出す書類や契約の書類、配達物の受取書など様々な書類で証明や確認をしめすのに必要なものでした。動物の角や金属、木などでできた立派なものから樹脂でできた簡易なものまであり、個人で所有するものは目的に応じて何種類か購入し自宅や会社など複数の場所に置いていたのではないでしょうか。この「はんこ文化」とまで呼ばれる世の中の仕組みが、近年になって縮小していく傾向にあります。行政のデジタル化やテレワークなどの新しい働き方を推進するうえで障害となっているとされ、世の中のデジタル化の影響によって「脱はんこ」が進められているのです。

写真1 鴨遺跡出土銅印(斜め前から)

写真1 鴨遺跡出土銅印(斜め前から)


 今回紹介する高島市鴨遺跡から出土した印章は、日本に「はんこ文化」が広まりだした頃のものです。鴨遺跡は高島平野の南部を流れる鴨川の南側に位置し、JR湖西線では近江高島駅と安曇川(あどがわ)駅の中間付近にあたります。    
 この遺跡では昭和54年(1979年)に発掘調査が実施されました。調査の結果、奈良時代から平安時代前期の遺跡であることが分かり、大型の掘立柱建物や井戸、溝などの遺構が確認され、ここで紹介する銅印のほか、銅銭や土器、木製品などの数多くの遺物が出土しました。官職名や役所名などを記した墨書土器や、税として米を送ったことを記した木簡、人形(ひとがた)など祭祀に関わる木製品などといった遺物の存在から、遺跡の性格としては役所である高島郡衙が有力な候補のひとつとされています。
 銅印は、溶かした金属を流し込む鋳造によって作られたもので、高さは3.85㎝、重さは86.5gあります。文字がある印面の大きさは一辺3㎝角の方形をしており、印文(押して現れる文字)は「朝」の文字が陽刻(文字が浮き上がるように彫る技法)で作られています。持つときに使用する紐(つまみ)は上端部が円弧状をしたもので、円形の孔が開いています。
 はんこを使用する印章制度は、中国の影響によって始まりました。福岡県志賀島(しかのしま)で発見され国宝として有名な金印「漢委奴國王」(かんのわのなのこくおう)は、中国で定められた制度によって中国の皇帝から日本の国王に与えられたものです。日本では隋唐時代の制度に影響を受けて701年に制定された大宝律令によって始まりました。天皇の内印(ないいん)「天皇御璽」(てんのうぎょじ)や太政官(だじょうかん)の外印(げいん)「太政官印」(だじょうかんいん)のほか、役所や役人、近江国などの国ごとにも印章が作られました。これらは権威によって大きさに違いがあり、内印は方三寸(一辺約8.7㎝)と最も大きく定められています。
写真2 鴨遺跡出土銅印(斜め後ろから)

写真2 鴨遺跡出土銅印(斜め後ろから)


 このほかにも、寺印、郡印、軍団印などの公的な性格がありますが、このような印章が広まる中で、貴族や役人が個人名の全部もしくは一部などを印文にした私印が使用されるようになります。鴨遺跡で出土した銅印は私印にあたり、この遺跡にいた役人が使用したものと考えられています。
 県内で発見された古代の銅印は、鴨遺跡以外にも大津市大谷南遺跡(印文不明。以下カッコ「」内印文を示す)、栗東市辻遺跡「□真」、守山市服部遺跡「乙貞」、近江八幡市大手前・御所内(ごしょうち)遺跡(印文不明)、甲賀市北脇遺跡「徳西庶家」の出土事例があり、いずれも私印です。このほかでは、日吉大社「比叡社印」、延暦寺「延暦寺印」、叡山文庫(えいざんぶんこ)「延暦政所」(えんりゃくまんどころ)、宝厳寺(ほうごんじ)「駿河倉印」(するがのそういん)に伝世品が残されています。これらの存在から、当時におけるはんこの普及がうかがえます。
 印章制度は、奈良時代から平安時代にかけて広まりました。印章自体は戦国武将や庶民の間で使用されることはあったものの、その後は制度としてはなくなってしまいます。再び整えられるのは明治時代になってからで、現在にまでその制度が継続していました。デジタル化によって便利になる一方で、古代に始まった「はんこ文化」が消えゆくことは残念な気もします。
(中村智孝)

◇◇鴨遺跡出土の銅印は、2022(R.4)年夏から秋の当協会の展示『滋賀をてらした珠玉の逸品-スコップと歩んだ発掘50年史-』で滋賀県埋蔵文化財センター1Fロビーにて展示されます。会期:7月23日(土)~11月18日(金)(土日祝休館・7/23~9/4の期間は無休)。ぜひ見に来てください。

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