調査員のおすすめの逸品 №326《滋賀をてらした珠玉の逸品③》作りかけの磨製石剣?ー守山市服部遺跡出土の石器ー

 守山市服部(はっとり)遺跡は、昭和49年夏、野洲(やす)川の改修工事に際して発見された遺跡です。工事の最中に、弥生時代から鎌倉時代の遺物が大量に散布することが明らかになり、急遽発掘調査が実施されました。およそ12万㎡×4面を1000日余(およそ3年弱)で調査した結果、弥生時代前期の水田跡や、弥生中期の方形周溝墓群、弥生中〜後期の円形竪穴建物跡、古墳時代前期の竪穴建物跡、古墳中〜後期の方形・円形周溝状遺構(方・円墳跡?)、歴史時代の掘立柱建物群など、連綿と続く非常に多くの遺構が見つかっています。またそれに伴って、遺物収納用コンテナで3,000箱を超える多種多様な大量の遺物が出土しました。
今回は、その中から「石器」について少し観てみましょう。

◆服部遺跡で見つかった「大陸系磨製石器」

写真1 服部遺跡の磨製石剣

写真1 服部遺跡の磨製石剣


 服部遺跡の発掘調査で見つかった石器としては、まず扁平片刃石斧(へんぺいかたばせきふ)、柱状(ちゅうじょう)片刃石斧、太型蛤刃(ふとがたはまぐりば)石斧などの、主に木工等に用いられたと考えられる磨製石斧類と、磨製石剣、磨製石鏃などのいわゆる武器(もしくは祭器?)類が挙げられます。これらの石器類は、「大陸系磨製石器」と呼ばれ、弥生時代になって「稲作文化」などと共に、大陸から伝わってきたと考えられています。ちなみに、大陸系磨製石器に分類されるものとしては、他に、稲刈り(稲の穂先のみを刈り取る)に用いる道具と考えられている「石包丁」が広く知られていますが、服部遺跡では、今のところ、石包丁の可能性がある資料は、1点だけ確認されているに留まるようです。

 さて、これらの出土した大陸系磨製石器の中で、興味深いのは「磨製石剣」です。
写真1は、服部遺跡で見つかった「磨製石剣」です。両面とも丁寧に横方向(写真1のように石器を正位に置いたときの左右方向)の研磨を施しつつ、中央縦方向に稜線(いわゆる鎬:しのぎ)を作り出しています。「頁岩(けつがん)」という石材を用いて作られていて、尖端部をごく僅かに欠失しますが、ほぼ完形品と言える資料です。武器もしくは祭器の可能性が考えられています。
 この磨製石剣に関連する資料として、興味深いのが写真2の資料です。表面中央に稜線が見られますが、これは研磨で作り出された鎬ではなく、この素材を準備する段階の剥離痕のようです。裏面には縦方向(正位に置いた時の上下方向)の研磨痕を明瞭に留めていて、「頁岩」という石材が用いられています。この資料は、磨製石剣の「未製品」と考えられています。

写真2 磨製石剣の未製品(左:表/右:裏)

写真2 磨製石剣の未製品(左:表/右:裏)


 未製品というのは、いわゆる「製作途中=作りかけ」のもので、つまりなんらかの事情で完成を待たずに放棄されたもの、です。この資料も、何らかの事情で完成をみずに放棄されたものと考えられます。ちなみに、それに対していわゆる完成品、つまり製作工程は完了、完結していると考えられるものを、「製品」と呼びます。写真1の磨製石剣は、まさにその「製品」と言えます。
 考古学では、未製品が出土・確認された時点で、その地点もしくはその周辺で、その石器(今回の場合は磨製石剣)の製作に関わる作業が行われていた可能性がある、と考えます。つまり、写真2の未製品の存在は、磨製石剣が服部遺跡で製作されていた、という可能性を示唆しています。
 しかし残念ながら、この2点の石器、出土した地点や遺構・層位等が異なっていて、しかも未製品の方は弥生時代中期後半、製品の方は少し遅れて、弥生時代中期末〜後期初頭、と帰属する時期も少し違う、とされています。ですので、即座に結びつけて考えることは難しいのですが、でも、弥生時代の服部遺跡では、少なからず、誰かが頁岩を磨いて磨製石剣を作っていた可能性は捨てきれない、と考えますが、皆さんはどう思われますか?
 実は、この2点の石器、滋賀県埋蔵文化財センターで開催する「滋賀をてらした珠玉の逸品たち-スコップと歩んだ発掘50年史-」展会場で展示されます。ちなみに、会期は令和4年7月23日(土)〜11月18日(金)(土日祝休館・7/23~9/4の期間は無休)。ぜひこの機会に実物をじっくりご覧頂き、この2点の石器に関わった弥生時代の人々に想いを馳せてみませんか?
  (鈴木 康二)

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