調査員のおすすめの逸品 №324《滋賀をてらした珠玉の逸品①》湖畔に生きた縄文人ー滋賀里遺跡の人骨ー

 当協会は令和2年度に設立50周年を迎え各種記念事業を計画してきました。しかし、新型コロナウイルス感染症の流行により、それら記念事業を先送りしてきました。今年度、ようやくそれらを開催する運びとなり、この夏から秋にかけては当協会の50年にわたる発掘調査成果を振り返り、近江の成り立ちをご紹介する展覧会を開催します。それにちなみ、このコーナーでは「調査員のおすすめの逸品」特別ヴァージョンとして《滋賀をてらした珠玉の逸品》シリーズを載せていきます。今回は第一弾、『滋賀里遺跡の人骨』です。今後、どんな逸品が飛び出すか、ご期待ください。

写真1・163号土壙墓

写真1・163号土坑墓

 

 半世紀(50年)の間、滋賀県文化財保護協会が関わってきた発掘調査の中で、今回ご紹介したいのは、滋賀里(しがさと)遺跡から発見された縄文人の骨です(写真1)。この遺跡は、大津北郊の湖西に位置し、比叡山から琵琶湖に向かって東西に広がる扇状地に立地した縄文時代から中世にかけての複合遺跡です。昭和46(1971)年3月から昭和47(1972)年5月にかけて実施された、JR湖西線整備に伴う発掘調査を通じて多数の人骨が見つかり、約3000~2700年前(縄文時代晩期)の頃、南北約100m幅をなす扇状地の上に墓域が形成されていたことが明らかになりました。
 土坑墓と呼ばれる地面を掘りくぼめた墓は44例、その可能性があるものが37例発見されています。それらの大きさは約1.0×0.7m(大人一人がうずくまれるほど)のサイズであり、遺体の多くは屈葬(死者の手足を折り曲げた姿勢をとる埋葬方法)されていました。埋葬された人の頭の向きをみると、仰臥(顔が上を向くもの)、横臥(顔が横を向くもの)の2タイプがあるようです。それら埋葬人骨とともに、骨が不自然に一か所に集められているものもありました。このことは、縄文人が新しいお墓を作る際に、先祖の眠る地点をうっかり掘り起こしてしまい、その骨を丁寧に片づけたような行為が想定されるかもしれません。
 また、墓域の中には土坑墓とともに、土器を埋葬容器として使った土器棺墓と呼ばれるものも25例見つかっています(写真2)。

写真2・172号土器棺墓

写真2・172号土器棺墓

その一部には、乳幼児の骨が内部に残っていたものもあり、幼いうちに亡くなってしまった子供への埋葬行為が窺われます。その棺に使われた土器には、煮炊きによって生じる外面のススや、内面のオコゲが残っていたことから、日常使いしていたお鍋を転用したようです。
 酸性土壌のため、日本の本州では骨など有機質のものが土の中で溶けてしまい、今日まで残っていることは稀です。しかし、この遺跡では偶然にも骨が保存されやすい条件が整っていたため、お墓だけでなく、その中に眠る人骨も一緒に見つかったことは注目に値します。発見された埋葬人骨の数は、滋賀県内の縄文遺跡において最多数を誇ります。
 また、墓域が形成された場所の北側斜面には、セタシジミ(琵琶湖固有種のシジミ貝の一種)を主体とする貝塚も確認されています(写真3)。
写真3 滋賀里遺跡発掘調査風景

写真3・滋賀里遺跡発掘調査風景

そこからは、煮炊きに使われた土器や、猟や加工作業に使ったと考えられる石、木、動物の骨製の道具が多数見つかりました。また、スッポンやシカ、イノシシの骨、木の実なども一緒に見つかっていることから、縄文人たちが琵琶湖や比叡山で多様な自然の恵みを獲得していたことを示しています。
 滋賀里遺跡は、縄文人の「なりわい」の様子とともに、彼らの「死者に対する想い」が残されていたということが注目されます。約3000年前に琵琶湖に住んだ当時の人々の「生」と「死」を考えるうえで、重要な遺跡であるといえるでしょう。今後の更なる研究に期待されます。
(佐藤巧庸)
◇◇「滋賀里遺跡の人骨」は2022(R4)年夏の当協会の展示『滋賀をてらした珠玉の逸品たち-スコップと歩んだ発掘50年史-』で滋賀県埋蔵文化財センター1Fにて展示されます。会期:7月23日(土)~11月18日(金)(土日祝休館・7/23~9/4の期間は無休)
是非見に来てください。

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