当協会は令和2年度に設立50周年を迎え各種記念事業を計画してきました。しかし、新型コロナウイルス感染症の流行により、それら記念事業を先送りしてきました。今年度、ようやくそれらを開催する運びとなり、この夏から秋にかけては当協会の50年にわたる発掘調査成果を振り返り、近江の成り立ちをご紹介する展覧会を開催します。それにちなみ、このコーナーでは「調査員のおすすめの逸品」特別ヴァージョンとして《滋賀をてらした珠玉の逸品》シリーズを載せていきます。今回は第一弾、『滋賀里遺跡の人骨』です。今後、どんな逸品が飛び出すか、ご期待ください。

写真1・163号土坑墓
土坑墓と呼ばれる地面を掘りくぼめた墓は44例、その可能性があるものが37例発見されています。それらの大きさは約1.0×0.7m(大人一人がうずくまれるほど)のサイズであり、遺体の多くは屈葬(死者の手足を折り曲げた姿勢をとる埋葬方法)されていました。埋葬された人の頭の向きをみると、仰臥(顔が上を向くもの)、横臥(顔が横を向くもの)の2タイプがあるようです。それら埋葬人骨とともに、骨が不自然に一か所に集められているものもありました。このことは、縄文人が新しいお墓を作る際に、先祖の眠る地点をうっかり掘り起こしてしまい、その骨を丁寧に片づけたような行為が想定されるかもしれません。
また、墓域の中には土坑墓とともに、土器を埋葬容器として使った土器棺墓と呼ばれるものも25例見つかっています(写真2)。

写真2・172号土器棺墓
酸性土壌のため、日本の本州では骨など有機質のものが土の中で溶けてしまい、今日まで残っていることは稀です。しかし、この遺跡では偶然にも骨が保存されやすい条件が整っていたため、お墓だけでなく、その中に眠る人骨も一緒に見つかったことは注目に値します。発見された埋葬人骨の数は、滋賀県内の縄文遺跡において最多数を誇ります。
また、墓域が形成された場所の北側斜面には、セタシジミ(琵琶湖固有種のシジミ貝の一種)を主体とする貝塚も確認されています(写真3)。

写真3・滋賀里遺跡発掘調査風景
滋賀里遺跡は、縄文人の「なりわい」の様子とともに、彼らの「死者に対する想い」が残されていたということが注目されます。約3000年前に琵琶湖に住んだ当時の人々の「生」と「死」を考えるうえで、重要な遺跡であるといえるでしょう。今後の更なる研究に期待されます。
(佐藤巧庸)
◇◇「滋賀里遺跡の人骨」は2022(R4)年夏の当協会の展示『滋賀をてらした珠玉の逸品たち-スコップと歩んだ発掘50年史-』で滋賀県埋蔵文化財センター1Fにて展示されます。会期:7月23日(土)~11月18日(金)(土日祝休館・7/23~9/4の期間は無休)
是非見に来てください。