調査員のおすすめの逸品 №300 地図から読み解く歴史-古地図と発掘調査

地図1 地籍図(全体:明治6年)

地図1 地籍図(全体:明治6年)


 発掘調査をおこなうときには古地図などを使った事前調査を行います。古い地図を子細に調査し、その場所の歴史を知ろうというわけです。
古い地図といえば、伊能忠敬(1745~1818年)が測量を行って精度の高い日本地図を作成しました。その後、精度の高い地図が次々に作成されるようになったかというと、どうもそういうわけでもありません。時代が明治となり地租改正に伴い、全国で地籍図の作成が求められました。課税のため土地の面積や地目が描かれた地図が必要となったわけです。面積は課税の要なので測量によって確認されたことになっています。その結果「地券取調総絵図」として描かれた塩津浜が地図1です。しかし、この地図かなり形が歪んでいます。とても測量の結果とは思えません。短時間での地図の作成が求められ、測量は各区画の面積調査に偏り、全体の形状にまでは手が回らなかったのでしょう。面積重視で一筆一筆描いて繋げていっても結果的につじつまが合わない地図になったのです。この時は全国で地籍図が作られたのですがどれも同じような状態です。
 地図2も明治の地図です。全体に地図1とよく似た雰囲気です。しかし、この地図は歪んでいません。正確です。現在の地図と重ね合わせても(地図3)ほぼぴったりと合います。
 明治20年に「地図更正ノ件」が通達され、地図の正確さが求められるようになります。繋ぎ合わせの絵図では駄目だというわけです。そして、使用すべきものとして測量器具や製図用具が示されました。おそらくその指示に従って作成された地図が、正確な地図2なのでしょう。
地図2 塩津浜絵図

地図2 塩津浜絵図

この時、正確を期して導入され、測量の主力となったのが「平板測量」です。平板測量とは水平に据えた板の上に「アリダード」という道具(写真1)を置き、測点の方向を見定め、そして測点までの距離を測り、描きたい縮尺で板上に点を落としてく測量方法です。この測量方法、ちょっと前まで発掘調査の現場でも現役の測量方法でした。1/100スケール程度の地形図を作成するのには最適の方法だったのです。100年以上もの間、現役の測量方法だったのですが、今は光波測量器が取って代わっています。

ターゲットを測点に置けば即座に座標が記録されます。巻尺を持って走り回る必要が無くなっています。もっと進んだ測量法も登場しています。カメラで適当にいくつかの方向からパシャパシャと撮れば地図が出来上がるというものもあります。ほかにも簡易で正確な測量法が次々と登場してきていますが、その話はまた次の機会に・・
 塩津の古い地図を見て私が注目したのは、南北に長い塩津浜の集落の南西部の形です。港として利用されていた大坪川の河口にあたる部分です。

写真1 アリダード

写真1 アリダード


集落の南端部のその部分が顎を突き出すような形となっているのです。塩津湾の最深部ですので湖水流の影響とは考えられません。

地図1ではその先に砂置き場として小さな島が描かれ、地図2では大きくなって陸続きとなり地番がふられています。どうもこの顎はどんどん成長しているみたいなのです。そこで、この不思議な地形の謎解きです。
この場所、今は畑地となっています。この畑、耕作すれば土器片がたくさん出てきます。中世の土器です。すぐ隣で行われた発掘調査では港跡が見つかり、ここでも大量の土器が出ました。でも様子があまりにも違います。どうも島や畑から出てくる土器は港の浚渫土に含まれていたものなのではないだろうかと考えました。

 塩津港は、大川か大川の旧河道である大坪川の河口を利用した港でした。琵琶湖湖岸の多くの港が内湖や湾を利用してきたのとは形態が異なります。河口であるため放っておくと堆砂が進み、河口は塞がってしまいます。常に浚渫が必要な港であったというのです。

地図3 伊香西浅井郡里程図(明治21年)

地図3 伊香西浅井郡里程図(明治21年)


そして浚渫した砂の置き場が集落南端の西側だったというのです。不思議な地形は浚渫土による人工地形ではないでしょうか。

 発掘調査では12~13世紀にかけての港が見つかりましたが、沖合からは8~9世紀の土器も比較的多く出土しています。これも浚渫土によるものと判断しています。そのことから調査では見つかっていない8~9世紀の古い港も、浚渫が必要な川の河口の位置にあったと考えることができます。
そして、私が発見した余談・・
 地図3と4を見てください。明治21年の伊香西浅井郡里程図の塩津村(地図3)と明治26年測図の2万分の1地形図の塩津村(地図4)です。広範囲な地図なので町の詳細な様子は省略されていますが、役場とか郵便局は地図記号をもって示されていま
す。そして見つけたのです!郵便局の記号が〒ではなく✉(封書の形)なのです。〒のマークは、明治20年に逓信省が考案し発表したものです。

地図4 塩津村 明治26年

地図4 塩津村 明治26年

それまで丸に横棒などの印が使われることがありましたが、地図に載るような記号は決まってなかったのです。そして、じっさい地図に描かれたのは✉!、昔の方が今っぽくて分かりやすいユニバーサルデザインだったとは。今は✉が描かれた場所に郵便局はありません。北に600m、道の駅「あじかまの里」の向かいに移転しています。
 地図は、いろいろな歴史を語ってくれる逸品です。(横田洋三)

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