調査員のおすすめの逸品 №298 謎が深まる畑地で見つかった「紅皿」-東近江三津屋遺跡出土品

写真1 見つかった溝跡と倒木痕

写真1 見つかった溝跡と倒木痕


 みなさんは、骨董品や、蔵などでみつかる「宝物」の中に、「古伊万里」や「伊万里焼」あるいは「唐津焼」などといった「お茶碗」や「お皿」などの名品といわれるものを目に、あるいは耳にしたことはありませんか? 実は、これらのお宝を含む、佐賀県・長崎県を中心とする西北部九州で盛んに作られた陶磁器類を総称して、「肥前陶磁」とか「肥前系陶磁器」と呼ぶ場合があります。この肥前系陶磁器には、先ほどの「(古)伊万里」や「(古)唐津」と呼ばれる有名な陶磁器ももちろん含まれていますが、そんな高価な品々だけではなく、いわゆる庶民向けの染付磁器のお茶碗なども、非常に多く作られていて、江戸時代には関西や関東地域・江戸はもちろん、北海道から九州まで、全国各地に流通していたことが分かっています。
 その中に、「紅皿(べにざら)」と呼ばれる磁器があります。江戸時代に使われていた「紅(べに)」をのせる化粧道具のひとつです。ちなみに、当時、紅花から作られていたこの紅は、今日でいう口紅や頬紅などと同じような使い方をしていたものですが、非常に高価なものだったとも言われています。

さて、東近江市に所在する三津屋(みつや)遺跡は、近年新たに確認された遺跡です。平成29年から3年間かけて、約10,000㎡の発掘調査を行い、溝跡や井戸跡、土坑のほか多数の倒木痕(木が倒れた/倒された跡)などが見つかりました(写真1)。また、量は非常に少ないのですが、土師器や陶磁器、金属製品など中世から近代の遺物が出土しています。
遺構としては、先述のとおり溝や井戸(素掘り井戸)は確認できましたが、建物の跡は見つかりませんでした。また「出土遺物が非常に少ない」という状況もあわせて考えれば、当時その周辺には、屋敷地・居住域があった訳ではなく、畑や水田などの農耕地が広がっていた、という可能性が高そうです。

写真2 三津屋遺跡出土「紅皿」

写真2 三津屋遺跡出土「紅皿」


 気になるのは、その非常に少ない出土遺物の中に、「紅皿(べにざら:写真2)」の小さな欠片が2点含まれていたことです。いずれも江戸時代後期頃に作られたものなのですが、それぞれ違う遺構の中から別々に見つかっています。
先述のように、江戸時代の「紅」は非常に高価な品とされ、紅皿や紅猪口(べにちょこ)に少量ずつ刷毛(はけ)で塗りつけて売られていたようです。「都会・街中」に近い、あるいはお城や屋敷跡のような遺跡で見つかることが多い印象の「紅皿」ですが、今回は、それが「農耕地」ではないかという地点で見つかったということになります。どう理解すれば良いのでしょうか?
江戸時代後期頃には、実は既に農村部まで「紅」が普及していたという可能性もあるでしょう。もしくは調査地付近にかつて屋敷地などがあったという可能性もあるかも知れません。あるいは単に例えば「当時のゴミの捨て方」などに関係して、たまたま今回偶然見つかっただけなのかも知れません。でもいずれにしても、「田畑から紅皿」「紅を携えて畑へ行く?」などいろいろな可能性を考えると、この「畑と紅」という取り合わせは、少々ミスマッチな気がします。みなさんはどう思われますか?(鈴木康二)

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