調査員のおすすめの逸品 №280 滋賀県指定文化財「滋賀県行政文書」~近江の考古学黎明期を探る史料~

写真1 滋賀県行政文書 簿冊「明す177」(滋賀県蔵)の表紙

写真1 滋賀県行政文書
簿冊「明す177」(滋賀県蔵)の表紙


 道路工事や宅地開発などに伴って、県や市の教育委員会などが事前に遺跡の発掘調査を行うことが日本でルール化されたのは、前回の東京オリンピックが開催された高度経済成長の頃です。それ以前は、大学教授が研究目的で発掘調査をすることもありましたが、大部分は地元の人たちが偶然に古墳などを発見して届け出たものでした。
 私が安土城考古博物館で勤務していた平成30年度に担当した企画展「近江の考古学黎明期」では、昭和20年代以前における遺跡の発掘・発見史を物語る資料として、滋賀県行政文書に着目しました。滋賀県庁内には膨大な量の行政文書が保有されていますが、そのうち昭和20年頃までの行政文書は、滋賀県の近代史を知る上で貴重な史料として整理、分類され、9,068冊が滋賀県指定文化財になっています。文書目録は滋賀県のホームページ上でも公開されていて、「古墳」や「銅鐸」といったキーワードを入力して検索すると、そのキーワードがタイトルに含まれる文書を探すことができます。文化財指定を受けている資料なので、取り扱いには充分に注意する必要がありますが、歴史資料について知識のある方が研究目的で申請すれば、実物を閲覧して内容を詳しく調査することも可能です。ただし、明治時代の文書は江戸時代以来の崩し字で書かれている場合も多く、解読するのに骨が折れるものもあります。
写真2 文書に綴られている 梅原末治氏の調査報告

写真2 文書に綴られている
梅原末治氏の調査報告


 今から100年余り前の大正6年(1917)に、現在の守山市立入町で古墳が発見され、当時まだ満23歳だった京都帝国大学助手の梅原末治氏が現地調査を行ったことがありました。日本で初めての考古学講座が京都帝国大学に開設された翌年のことで、まさしく「近江の考古学黎明期」の出来事です。
 滋賀県行政文書のうち、「明す177」と番号が付けられた分厚い簿冊(写真1参照)の中に、この一件についての記録が綴られています。その中から、地元の守山署長が警察部長あてに報告した文書を読むと、大塚(王塚)と称される墳丘を堤防工事の盛土に使用するため崩していたところ、古墳の石室のような石と、土器の破片、埴輪などが発見されたそうです。このため、古墳の専門家である梅原氏が招かれて、現地で出土遺物等の確認が行われ、その調査結果は「近江國野洲郡守山町大字立入古墳調査報告」(写真2参照)として『考古學雜誌』に掲載されました。梅原氏の報告に図が掲載されている埴輪などの出土遺物は、残念ながら現在では所在不明になっています。100年以上も前の話ですが、もしご存じの方がおられたらお教えください。
 ところで、この古墳が発見された地点は、滋賀県文化財保護協会が平成30年度から国道8号バイパス工事に伴って、
写真3 文書に綴られている 古墳発見当時の周辺図

写真3 文書に綴られている
古墳発見当時の周辺図

発掘調査を続けてきた栗東市辻遺跡の近接地です。調査事務所から300mぐらい先に見える位置だったので、発掘現場の様子を見に行くたびに、この文書のことを思い出しました。
 なお、この古墳発見の話は、今年3月刊行の『紀要』33号に紹介していますので、興味のある方は御一読ください。(田井中洋介)

《参考文献》
・梅原末治(1917)「近江國野洲郡守山町字立入古墳調査報告」『考古學雜誌』第七巻第十一號
・滋賀県立安土城考古博物館(2019)『第59回企画展 近江の考古学黎明期』
・田井中洋介(2020)「滋賀県行政文書で見る「近江の考古学黎明期」」『紀要』33号 公益財団法人滋賀県文化財保護協会

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