大津市関津遺跡といえば、これまでの発掘調査で奈良時代から平安時代前期に大和と近江を最短距離で結ぶ「田原道」とその道路沿いに官衙などの建物が配置されていたこと、室町時代の大規模な港湾施設が整備されていたこと、また隣接する関津城の城主である宇野氏は大和を本貫地とする可能性があることなどが明らかとなっています。

絵画木製品(表:赤外線写真)
頭の中を思いめぐるのは、「中世の妖怪?お化け?鬼?」など、とにかく得体のしれないものをいろいろ想像してみました。少し方向違いかと思いつつも「餓鬼草紙」「地獄草紙」「百鬼夜行図」などに描かれた鬼や妖怪の姿と比較したりしました。

絵画木製品(裏:赤外線写真)
反対の面には、二人の人物が。この姿か誠にけったいなのです。左側の人物は、角のような突起の付いた冠?を被っています(思い浮かんだのはウルトラマン)。右側の人物も何かを被っていますが、右目と口しか表現されていません。顔から下の表現は反対面の人物と共通しています。ただ、こちら面には「北方」と読める文字が記されています。

絵画木製品(実測図)
発掘調査の報告書をまとめるにあたり、中世の民俗史に詳しい先生のご意見を聞いたりしていく中で、ひとつの解釈として中世の道教思想に基づいて使われた札ではないかと考えるようになりました。道教思想の強い中国の雲南省では、古くから年中行事や儀礼の際に、呪いや魔除けのために道教の神像を木版刷りした紙を燃やす風習がありました。そのような信仰が何らかの形で、当時日本へ伝わったことが考えられます。地鎮のために「北方」や「南方」の文字も記されました。
この木製品に描かれた人物の姿が何を表しているかついては、当時中国の道教の神像を見たり聞いたりした人が、その風習を真似て描いたものではないかと考えています。なお、報告書でこの板材は、「絵画木製品」として紹介しています。
今後、類似した資料が出てきたりすれば、あらためてその性格について考えてみたいと思っています。いずれにしても、ほんとうに「けったいな姿の人物たち」です。
(吉田 秀則)