津田江湖底遺跡は、現在の滋賀県立琵琶湖博物館がある烏丸半島の南側、草津市下寺町に位置する湖底遺跡です。今回は、その発掘調査の際に、「入れ子」状態で見つかった縄文土器を紹介します。
調査報告によれば、倒木痕もしくは落ち込み状の堆積層の中から、ほぼ完形の2点の土器が入れ子状態で出土した、と記されています(写真1)。人為的に掘られた穴(=土坑)に埋められたものなのか、倒木の樹根が腐植し土壌とともに沈下・埋没したものなのか、よくわからないようですが、2点の土器を入れ子状に組み合わせていることや、いずれもほぼ完形であったことなどから、何らかの意図的な意味合いがあったのかも知れません。
さて、この2点の土器の様子をもう少し詳しく見てみましょう。これらは、深鉢形土器(以下深鉢)と浅鉢形土器(以下浅鉢)で(写真2)、深鉢の中に浅鉢が入り込むように組み合わせられていました(写真3)。浅鉢の方は「諸磯b式土器」と呼ばれる土器によく似ています。胎土や器壁の厚さ、作り方等から、津田江湖底遺跡周辺で作られたものではなく、どこからか持ち込まれた可能性が高そうな土器です。ちなみ諸磯式土器は神奈川県の三浦半島にある諸磯貝塚で見つかった土器を標式としていますが、共通した特徴を持つ土器は関東~中部・東海圏、そしてこの滋賀県でも断片的に見つかっています。今回見つかった土器は、一見すると「諸磯b式」の特徴を色濃く留めていますが、標式資料と比べると、やや器壁が薄く、胎土も精良な印象をもちます。
一方、深鉢の方は「北白川(下層)Ⅲ式土器」と呼ばれる土器によく似た特徴を持っています。胎土などの状況から地元産である可能性が高い土器です。北白川下層式土器は京都市北白川小倉町遺跡を標式遺跡とする土器で、縄文時代前期後半の関西地方では比較的一般的に認められる土器です。中でも北白川(下層)Ⅲ式は、「特殊凸帯文」と呼ばれる文様を留めることを特徴としています。「特殊凸帯文」とは、器面に粘土紐を貼付して凸帯を作り、その上に凸帯よりも幅の狭い半裁した竹管状の工具で2本の平行する沈線を押し引いた文様です。

(3)入れ子状況の復元

(4)深鉢の文様部分の様子
正直なところ、この複雑な様相をどう理解するか、は今後の課題です。しかし、一つの土器の中に古い要素と新しい要素が混在すること自体、実は縄文土器の中ではそんなに珍しいことではありません。顕著で特徴的な要素の有無を頼りに単純化して、○○式として分類することも時には必要ですが、一方で「常に客観的に一つ一つの土器を丁寧に観察すべし!」と、この土器を観るたびに思います。私にとって、この土器はそんな逸品なのです。
なお、今回紹介した土器は、2014年7月19日(土)~8月31日(日)に開催される滋賀県立安土城考古博物館第49回企画展『湖底遺跡が語る湖国二万年の歴史』で、展示される予定です。この機会に、是非実物をご覧いただき、縄文時代の人々が土器にのせた想いの一端を、直に感じていただければ幸いです。
(鈴木康二)