タイトルを見て、「土器が勝手に動くの! ましてやまねるって何?」と思われるかもしれませんが、動くんです。そして、まねるんです。その真意を、烏丸崎遺跡から出土した弥生時代前期の土器でお話ししましょう。

(2)在地産
では、生駒西麓産の土器が、どうして烏丸崎遺跡にあるのでしょうか? 土器が勝手に動くことは不可能です。「土器が動く」とは、実際には「人が動く」ということになります。このようなよその地域で作られた土器を、「搬入(はんにゅう)土器」と呼びます。この搬入土器は、烏丸崎遺跡での米作りが、生駒西麓つまり河内潟の東で米作りを習得した人々によって伝えられたことを物語っています。
一方、烏丸崎遺跡産の土器は、新たな技術・文化に触れた地元の人々が、搬入土器をまねて作ったものです。つまり、搬入土器をモデルとしたコピーです。このようにして、文化・技術・生活様式などは、広がっていくことになります。この「モノマネ土器」(ちなみに、これは学術用語ではありません)の存在は、新たな文化や技術に触れた地元の人々の反応を知ることができる意味でも、とても興味深いものです。烏丸崎遺跡では、このようにすぐに同じような土器を作り始める反面、縄文土器の伝統を引き継いだ土器もあります。この土器は、弥生土器の要素も取り入れた「変容土器」と呼ばれるものです。つまり、アレンジした土器です。「搬入土器」「モノマネ土器」「変容土器」が同時に存在していたことは、烏丸崎遺跡で米作りを始めた地元の人々が、新しい人・モノ・情報を柔軟に受け入れ、すぐに自分達のものにしていたことを示しています。
このように、今回紹介した2点の土器は、単に時代や生活様式の変化を物語るだけではなく、これらを作り使っていた人々の、新たなあるいは異なる文化や技術への対応のあり方をも物語るものであることを、改めて教えてくれる逸品なのです。
(小竹森 直子)