
戦国時代の「磨石」
佐和山城跡は、彦根市東北部にある佐和山丘陵の頂部に築かれた中世の山城であり、関ヶ原合戦で敗れた西軍の大将・石田三成の居城としてよく知られています。私は、平成21・22年度にその東麓で実施した発掘調査を担当しました。丘陵に刻まれた谷部は家臣団の屋敷地と考えられ、そこで見つかった堀の中から、この「磨石」が見つかりました。一緒に見つかった土器の年代観から、この堀は、三成在城時代を含む16世紀第4四半期~17世紀初頭に機能していたと考えられます。

「磨石」が出土した堀
さて、前置きが長くなりました。この戦国時代の「磨石」、サイズは直径9.0cm・厚さ6.0cmの扁平な球体で、均整のとれた形をしています。現状での重さは約730gですが、少し欠けていますので、もともとはもう少し重かったと思われます。使っている石材は砂岩です。
その最大の特徴は、とてもスベスベした表面です。周縁部、つまり最大径の部分は少し粗いのですが、それ以外の部分は光沢をもつほどに磨きこまれています。縄文時代の磨石は、道具として使い込まれた結果、研磨されて表面がスベスベになります。しかし、この「磨石」はそうではなく、敲打により形を整えた後、ひたすら砥石などで磨き続けてこのようにスベスベになっているのです。すなわち、研磨はこの「磨石」を作るための作業と考えられます。縄文時代の磨石は「磨った石」ですが、この「磨石」は「磨られた石」なのです。

上からみた「磨石」
何はともあれ、この「磨石」のスベスベした手触りと均整のとれた形は、やはり一種の芸術品に思えます。いっそ、実用品ではなく、観賞用と考えてもいいのかもしれません。
(小島孝修)