年賀状シーズンが近づいてきた今日この頃、「そろそろ準備を…」と思案している方も多いのではないでしょうか。最近は少し下火ですが、一時期「消しゴムハンコ」の年賀状が流行りました。私も去年から始めた1人です。ハンコの図案は様々ですが、考古資料の図案を使うこともあります。縄文土器の文様、銅鏡の裏面の文様、軒瓦の文様、などなど・・・。

昨年度のイベントで作ったハンコ
あくまで趣味なので、お仕事でハンコを作ることはめったにありませんが、始めて間もない頃、イオンモール草津で平成25年2月9~11日に開催しました「体験タイムトラベル・古代へGO!」というイベントで、作る機会がありました。このイベントでは、滋賀県内から出土した縄文時代から古代までの様々なアクセサリーやおしゃれに関する遺物を展示したのですが、たくさんのお客様にご来場いただき、おかげさまで盛況のうちに無事終えることができました。
ハンコは、このイベントの中で行ったクイズ&スタンプラリーのために作りました。ハンコを作るにあたり、アクセサリーやおしゃれに関係する図案を選ぶことになりました。選ばれた図案は、粟津湖底遺跡(大津市)の土偶(顔に刺青の表現がある)、十里遺跡(栗東市)の内行花文鏡(銅鏡の破片をペンダント・トップに加工)、北谷11号墳(草津市)の鍬形石(緑色凝灰岩という石で出来た腕輪)、井口遺跡(長浜市高月町)の石帯(ベルトの飾り)の4つになりました。

十里遺跡から出土した破鏡
その中で私の目を引いたのが、銅鏡のペンダント・トップでした。これは、青銅製の鏡の破片を、磨いたり穴を開けたりと再加工をしたもので、考古学では「破鏡」(はきょう)といいます。穴にヒモを通して首から下げていたと考えられています。イベントでは、十里遺跡(栗東市)の弥生時代末頃(3世紀頃)の川跡から出土した内行花文鏡の破鏡を展示しました。破片だけを見ると、「これ、なんだろう?」と首をひねってしまいますから、よいクイズのネタになったわけです。残念ながら破片なので、答えをイメージしやすいように、ほぼ完全な形で出土した塚越古墳(甲賀市)の内行花文鏡をハンコの図案にしました。

十里遺跡出土破鏡の復元図
私にとって、「鏡を割る」という行為はとても不思議でした。なぜかというと、この時代、鏡はとても貴重なお宝だったからです。簡単に手に入るものではありませんし、単に自分の姿を映す道具ではなく、魔を退ける、神秘的な力をもつ宝器として考えられていました。その力が転じて、日本では首長権のシンボルだったとも考えられています。古墳などの墓によく副葬されているのは、その神秘的な力を期待していたからのようです。破片と復元した鏡を比較してみると、破片はずいぶん小さいですから、神秘的なパワーもダウン↓↓↓してしまいそうな気がします。
鏡を割って利用する理由にはいくつかの説があり、その1つに贈りものというものがあります。もし贈り物なら、大切な鏡を割ってまで贈ったことになります。贈った人は、どんな思いでこの鏡をプレゼントしたのでしょうか? お守りでしょうか? それとも・・・。想像が膨らみますね。そして、この鏡を贈られた十里遺跡の人は、鏡をずっと大切に持っていたのでしょう。
今年度のイオンモール草津でのイベントは、平成26年2月8日(土)・9日(日)に開催します。詳しいお知らせは後日になりますが、足を運んでいただけましたら幸いです。
おまけ

上段左:石渕山古墳(米原市)、上段中:塚越古墳、上段右:南平古墳1号墳(栗東市)、下段左:下味古墳(栗東市)、下段右:雪野山古墳
(加藤達夫)