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新近江名所圖絵 第217回 石場と小船入の常夜燈
●石場の常夜燈
滋賀県立琵琶湖文化館と琵琶湖ホールの間にある湖岸公園の一角に常夜燈が立っており、行きかう人がしばしばこの燈を見上げています。常夜燈とは、文字通り一晩中つけておく明かりのことです。湖岸公園にある常夜燈は、もともと石場に建てられたもので、琵琶湖の西岸に位置する大津市石場と東岸に位置する草津市矢橋(やばせ)との間を往来する船の目印となりました。湖岸の埋め立てとともに、昭和43年(1968)に石場(現在の大津警察署の裏)から琵琶湖文化館の前に移築され、その後現在の場所に移されました。
この石場の常夜燈は花崗岩でできており、高さが約8.4mで、裾広がりの堂々とした姿を見せます。銘文を見ると、弘化2年(1845)に鍵屋傳兵衛・船持中が発起人となって建立されたことがわかります。また、近江・大坂・京都・尾張等からの寄進者名も刻まれており、広域にわたって多くの人が琵琶湖水運に携わっていたことがうかがえます。
石場は旧東海道筋で、江戸時代の元禄年間から対岸矢橋への渡船場としてにぎわっていました。明治時代以降も湖南汽船の舟乗場が設けられていましたし、京都~馬場~大津(現浜大津)間の鉄道開通時には石場に停留所が設置されるなど、水陸ともに交通の要所としての役割を果たしました。対岸の矢橋もまた中世から湖南の渡船場として栄え、「矢橋の帰帆」として近江八景の一つに数えられるなど名勝地としても知られています。
●小船入の常夜灯
石場の近くにもう一基の常夜燈がのこされています。それは、舟着場であった小舟入(こぶないり)に建てられた常夜燈で、石柱部分に「文化五年戊辰年九月建之」と刻まれています。文化5年は1808年のことですから、石場の常夜燈よりも古いものであることがわかります。
小舟入の常夜燈は、石柱上の火袋が木製で切妻屋根となっています。柱の刻銘から京都の伊勢講のひとつであった恒藤講が、伊勢両宮の常夜燈として建立したことが知られ、基壇部分には京都と大津の世話人と石工の名前が刻まれています。当時小舟入には水茶屋が軒を連ねて、伊勢参りの人々でにぎわいを見せていました。
●おすすめポイント
石場の常夜燈のある湖岸沿いを散策するのはいかがでしょうか。埋め立てによって石場の様子はすっかり変わってしまいましたが、湖岸にたたずむ常夜燈と美しい琵琶湖の風景はまさに当時の様子を彷彿とさせます。また、湖岸沿いだけではなく、旧東海道を散策するのも面白いのではないでしょうか。かつて石場の常夜燈は旧東海道沿いにあり、旧東海道の周辺には史跡や古い町並みも残っていることからも往時の姿を感じることができます。
【アクセス】
石場の常夜燈:京阪電車石坂線島の関駅下車、湖岸へ徒歩5分
小舟入の常夜燈:京阪電車石坂線島の関駅下車、徒歩3分
(稲田素子)