
写真1・川沿いに広がる萱原集落①
滋賀県にはいまだたくさんの山村・農村景観があります。そういった景観に惹かれる一人として、少し足を延ばして、細い山道を恐る恐るハンドルを握りながら、各地を訪れてみました。

写真2・川沿いに広がる萱原集落②
さて、今回紹介するのは多賀町の山中に所在する萱原(かやはら)の集落です。多賀町は町域の85%が森林地帯のまさに緑の町であり、鈴鹿山系と、そこから流れ出る芹川・犬上川の両河川が作り出す地形の上に成り立っています。その両河川の中流域には、多賀大社が鎮座し、多くの観光客が訪れています。
その犬上川の上流、深い緑の谷間に萱原集落は在ります。集落の入り口にある巨大な二丈坊のモニュメント(調査員のおすすめの逸品№266)を越え、集落の中へと進みます。閑静な集落の中に響くのは、川のせせらぎとセミの声のみです。たまにすれ違う住人のみなさんは、優しい笑顔を浮かべながらご挨拶してくれました。そして集落の中にはいくつかの小川が流れ、それが犬上川へと注いでいきます。家屋の多くが川に面しており、川は人々の生活の一部であったことがうかがえます。一方で、川はときに猛威となって人々に襲いかかることもあります。犬上川沿いには多くの「大蛇伝説」が伝わっており、川は命の源でありながら、ときに恐ろしい自然であることを表した説話と考えられています。そのひとつが萱原にも伝わっており、人々は川に対して畏怖の念をも抱いていたことは想像に難くありません。

写真3・山の神を崇めた萱原神社
このように萱原に住まう人たちは、山から得られる山林資源とそこから流れ出る水の恩恵を得て生活を営み、その感謝の祈りを山と水の神さまに奉げてきたのです。その連綿と続いた営みのあり方こそが萱原の伝統であり文化なのです。
日本の山村・農村景観の美しさのひとつに、その機能美が挙げられます。決して誰かの目を引くためではなく、その土地での生業や自然環境に合わせるために必要に応じて作られたもの、習慣となったもの、信仰されたものが、その土地ならではの景観となり、伝統となり、やがて文化として醸成され、いまを生きるわたしたちを惹きつけてやまないのです。時代の流れの中で失われつつある日本の原風景を、いま一度訪ね歩いてみると、これまで気づかなかった発見があるかもしれませんよ。

写真4・集落の入口にたたずむ二丈坊
◆おすすめポイント
萱原集落の入り口には巨大な謎の彫刻がそびえ立っています。これは彦根市の方がデザインし、アメリカ人彫刻家が作成したもので、かつて萱原ではカワウソが二丈坊に化けて村人を脅かしたという伝説に基づいて作られたものです。萱原に生まれた子供たちは、「言うことを聞かないと二丈坊に連れていかれるぞ!」といって戒められていたそうです。このようなカワウソ伝説が伝わっているのも、美しい水と共存した萱原集落ならではといえるでしょう。
犬上川に沿って立ち並ぶ家屋は、昔懐かしい雰囲気を漂わせています。それほど大きな集落ではありませんが、畑仕事をしているみなさまに挨拶をしながら、川のせせらぎに耳を傾け散策すると、こころも身体もしっかりリフレッシュできることでしょう。

写真5・山奥にそびえる犬上川ダム
◆周辺のおすすめ情報
萱原の集落を抜けて、細い林道をさらに山中へと向かっていくと、犬上川ダムがあります。かつて犬上川は度重なる水不足によりふもとの人たちの間で騒動にまで発展したこともありました。そこで作られたのが日本で初めての本格的な農業用コンクリートダムである犬上川ダムです。うっそうと生い茂る緑の中にたたずむ巨大なコンクリートの塊は見るものを圧巻させます。ダム湖には萱原の名物ともいえるオシドリが飛来し、季節になると数百羽のオシドリたちが羽を休める姿を見られるそうです。
(木下義信)
◆アクセス
【自家用車】名神高速道路彦根I.C.、湖東三山スマートI.C.から約30分。
《参考文献》
著:加藤エイミー/訳:両角美貴子 写真:木村しん(2004年)『ジャパン・カントリー・リビング(日本語版)』 チャールズ・イー・タトル出版株式会社
多賀町史編さん委員会(1991年)『多賀町史』上巻・下巻