新近江名所圖會 第218回 洪水の記念碑-明治29年の大洪水

 平成27年(2015)9月10日、茨城県常総市で鬼怒川が決壊し、死者2名、家屋の全半壊5200棟余、避難者7000人余の大災害となりました。台風18号と19号の影響により、周辺では1日の総雨量が400~500㎜にいたる記録的な大雨となり、決壊の直接の原因となりました。近年の世界的な異常気象によって、各地でこうした災害が頻発しています。
 滋賀県内では、明治29年(1896)9月に記録に残る過去最大の洪水がありました。このとき琵琶湖の水位は+3.76mにおよびました。当時の通常水位は現在の水位よりも0.83m高かったので、現在の標準水位からすれば+4.5m(約標高89m)という異常な高水位となりました。9月7日から降り始めた雨は8・9・10日と続き、水位も1日1m以上上昇しました。さらに、11日には台風が接近し、湖岸の各地で一時水位は4mを超えたといわれています。この洪水は、死者29人、行方不明者5人、流出家屋1,749棟、全壊家屋1,521棟、半壊家屋6,136棟、浸水家屋58,391棟、浸水田約30万反という甚大な被害をもたらしました(『滋賀県災害誌』)。南郷洗堰はこの年の3月に設置計画が決定されましたが、9月の大災害の見直しをされないまま、工事が進められたとのことです。
 明治29年9月の琵琶湖周辺での史上最悪の大水害は各地にその爪痕を残しましたが、その記録がいくつか残されています。写真記録としては、近江八幡市江頭や安土町下豊浦、常楽寺の水没家屋、沙沙貴神社の鳥居の崩壊等が残されています(県流域治水政策室ホームページ)。また、文書資料としては、天皇・皇后から救恤(きゅうじゅつ)金が下賜されたことを示す宮内省通知文や、蒲生郡岡山村牧(現近江八幡市牧)で水位が約4.2mまで達したとの文書等が残されています(県政史料室資料)。野洲川北流左岸等では延長240mにわたり、3カ所で堤防が決壊し、多大な被害をもたらしました。

写真1 大水口神社境内石碑

写真1 大水口神社境内石碑

 この洪水の最高標位や冠水を記録した石碑、記念碑などが県内各地に残されています。大津市瀬田西光寺、大萱善念寺、鳥居川、下阪本酒井神社、野洲市吉川、東近江市伊庭、小川、彦根市西川町、下西川町、石寺町、上岡部、甲崎、薩摩、柳川、長浜市木之本町音羽、湖北町尾上、高島市新旭町深溝等20か所以上の存在が分かっています。これらの中から、今回は守山市幸津川に残る大洪水の碑史跡を訪ねてみます。
 一つは守山市幸津川町の大水口神社の石碑です。大水口神社は野洲川の幸浜大橋の南詰に鎮座します。下新川神社の御旅所で、神社の由緒書の看板には「野洲川水口の司水神、天正年間(1570年頃)に勧請したと伝えられる」と記されています。かつて周囲には水路が巡り、新野洲川ができるまでは鳥居の左に船着き場があったとのことで、明治24年の地図には琵琶湖までつながっている水路が描かれています。境内には「川切れ百周年記念 治水・愛水野洲川の郷」の石碑が建立されています(写真1)。建立は平成8年9月7日で、明治29年の水害当日から百年目に当たります。
 もう一か所は、同じ幸津川町の浄土真宗本願寺派の浄宗寺にあります。門前の右手に鐘楼を背にして記念碑が建っています(写真2)。表には「大水害最高水位」と水位線、裏には「明治29年9月13日浄宗寺」と刻まれています。明治29年の水害で鐘楼の石垣が水没し、大人の首丈位まで洪水が襲ったことが記録されています。
 温暖化による異常気象で各地でいつ何時災害が発生するか判りません。先人の教訓を忘れることなく、日々注意を心がけたいものです。(濱 修)

写真2 浄宗寺鐘楼前の洪水標

写真2 浄宗寺鐘楼前の洪水標

■大水口神社

■浄宗寺

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