新近江名所圖会 第305回 膳所城の痕跡を辿る―近津尾神社に残る水門―

膳所城の水門と伝えられる近津尾神社の表門

膳所城の水門と伝えられる近津尾神社の表門


  膳所城に関わる数少ない発掘調査の内、当協会が平成24年に実施した近江大橋道路の西詰交差点の改良工事に伴う発掘調査の成果は、新近江名所圖会第165回でご紹介しています。
 この調査では、膳所城「北の丸」の北辺の石垣の裏込めの痕跡と南辺の石垣を確認しました(現在の県道大津湖岸線(湖岸道路)の「膳所公園」バス停のあたりを中心に東西約40m、南北約47mの範囲)。
 「北の丸」にはどのような建物があったのでしょうか。寛文2年(1662年)に発生した大震災の被害状況を記した「覚[膳所城修覆願ケ所絵図]」という絵図によると、「北の丸」には南北棟の瓦葺建物二棟が描かれ、「公儀御蔵米入置申御蔵」とあることから、御蔵米(年貢米)をこの米蔵で保管、管理していたと考えられます。さらに、南辺の石垣は絵図との整合性から水門の付属施設に相当する可能性があります。

おすすめポイント
 県内外には膳所城の廃城後に移築された関連の建物が、15例ほど確認されていますが、その中に水門と伝えられている例があります。近津尾神社門(大津市国分町)と新宮神社門(草津市野路町)は、規模が絵図の記載寸法に近く、水門の具体的なイメージを推察するにあたり非常に参考になります。領内から船で運ばれてきた御蔵米を陸揚げするための施設として機能していたことがうかがえます。
 近津尾神社は、『石山寺記録中之巻三』によると、承安三年(1173年)、後白河院が石山寺へ行幸された際に石山寺座主公祐僧都の命を受けて勧請し、石山寺祈願寺と奉崇したとあります。木造男神坐像3体が伝えられていますが、平成25年9月の台風第18号により本殿が損傷したため、この神像と1対の獅子・狛犬が大津市歴史博物館に寄託されています(現在、同館の企画展でこの像が公開されています。11月24日まで)。

周辺のおすすめ情報
 元禄年間(17~18世紀)に松尾芭蕉が近津尾神社境内地に移り住み、草庵「幻住庵」を営んでいます。従来は、境内に跡碑と句碑がひっそりと立っているのみでしたが、平成3年(1991)10月に「ふるさと吟遊芭蕉(ぎんゆうばしょう)の里」事業の一環として幻住庵が復元されています。

アクセス
【公共交通機関】JR石山駅からバスで10分 幻住庵バス停下車から徒歩で5分
【自家用車】京滋バイパス石山ICから約5分

(吉田秀則)

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