新近江名所圖会 第302回 桟瓦発祥の地-万徳院と西村半兵衛-

 

写真1:万徳院

写真1:万徳院

 西国十四番札所園城寺(三井寺)は天台寺門宗の総本山で、弘文天皇の皇子の大友与多王が父の霊を弔うため創建しました。天武天皇によって「園城」の勅額を賜り、「長等山園城寺」と称しました。のち、智証大師円珍和尚(814~891)によって再興されています。
 長い歴史の中で兵火に幾度も遭って焼失を繰り返しましたが、その都度再建されています。平安時代以降には比叡山延暦寺と争いを繰り返しており、山門派と寺門派の争いとして有名です。以降も兵火に遭いますが、徳川氏などにより再興され、現在まで存続してきました。

◆おすすめpoint
 三井寺の近隣に万徳院(写真1)という所があります。万徳院は、現在一般的な瓦である桟瓦がはじめて葺かれた場所と言われています。
 

写真2:本瓦葺

写真2:本瓦葺

 近江国大津北別所観音寺町(現大津市観音寺)の住人であった西村五郎兵衛尉正輝(のち半兵衛に改名)が従来の丸瓦と平瓦を組み合わせて用いる本瓦葺(写真2)の屋根は重たいとして、如何にしたら軽くできるかということを思案し、発明したのが桟瓦(写真3)だと言われています。
 この西村家の由緒書には、寛文11年(1671)の元旦に霊夢を見て、「二角ヲ切闕継合ニ鎬ヲ付ルナラハ雨水ヨク流ルベシト、鍛錬スルコト年ヲ歴テ延寶二甲寅年(1674)四月八日願望成就シ其瓦ヲ三井寺万徳院ノ玄関ヲ初メテ葺タル」と記されています。「二角を欠いて鎬をつける」というのは桟瓦の構造そのもので、万徳院の玄関に初めて用いたということが記されているのです。
 この瓦は江戸の牧野備後守の屋敷に使われた「火除瓦」を参考にしたため、名称は「江戸葺瓦」と名付けられました。実はこの時に葺かれた瓦というのは見つかっておらず、実際はどんな形状をしていたかはわかりません。しかし、万徳院ではじめて用いられた「江戸葺瓦」が瓦葺普及のきっかけになったといえます。
 江戸時代の瓦の歴史では、明暦3年(1657)正月に江戸で明暦の大火が発生し、その復興の際に瓦葺が禁止されましたが、享保5年(1720)4月に防火対策として瓦葺が解禁・奨励がなされるに至ります。
写真3:桟瓦

写真3:桟瓦

瓦葺が解禁された際には「軽き瓦」、すなわち「江戸葺瓦」を用いることが推し進められます。日本の瓦の歴史の大きな転換点の始まりが三井寺万徳院だったのです。
 西村半兵衛正輝は貞享4年(1687)正月に46歳でこの世を去っています。その子、西村半兵衛正家は宝永5年(1708)に伏見奉行の建部内匠頭によって伏見田町に屋敷を賜り、大津を出ています。

◆周辺のおすすめ情報

 現在三井寺金堂(写真4)では「秘仏結縁」として、重要文化財「黄不動尊立像」「護法善神立像」がご開帳されています。「黄不動尊立像」は鎌倉時代の作、「護法善神立像」は平安時代末期の作です。

写真4:三井寺金堂

写真4:三井寺金堂

 ご開帳は12月8日までで、拝観料は800円です。また、慶長5年(1600)に建てられた国宝勧学院が10月20日まで公開され、毎年智証大師の命日の10月29日のみ開扉される国宝智証大師坐像が10月29日から11月4日まで御開帳されています。
(福井知樹)

◆アクセス
<公共交通>京阪石坂線三井寺下車徒歩10分
<自家用車>名神高速大津ICより湖岸道路経由10分

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