城郭に多少の興味のある人なら、甲賀の城と聞いて連想するのは、「方形居館」だと思います。方形居館とは、居館の周囲を土塁と堀で囲った50m四方ほどの小規模な城砦のことで、郡内で200基以上が確認されています。甲賀では中世、この城主である地侍たちが「甲賀郡中惣」とよばれる自治連合体を作って地域を支配していて、郡や広い地域を束ねる強力な領主は、織田信長の時代になっても出現しませんでした。
ところがそんな甲賀に、全く違うタイプの城郭が現われます。それが水口岡山城です。
信長が本能寺の変で討ち死にした後、賤ヶ岳の戦い、そして小牧長久手の戦いで、信長の息子たちや織田家の宿老たちを退けて天下統一事業を進めた羽柴(後の豊臣)秀吉は、天正13年(1585)7月に関白に就任します。この時秀吉は、子飼いの家臣・中村一氏に近江・伊賀国内に6万石を与え、現在の甲賀市水口町水口にある比高差約100mの古城山頂に、新たな城を築かせました。実はその直前、信長そして秀吉に仕えてきた甲賀衆(甲賀の地侍衆)は、紀州雑賀(和歌山県)の太田城水攻めの堤防工事で不手際をしたことを理由に、改易されました。築城を任された一氏には、統一政権による甲賀郡の新たな支配の確立や、甲賀のみならず近江内陸部を押さえること、さらに東海道を押さえて東国支配の足がかりを築くなど、多くの大切な役割が担わされたのです。

本丸跡からの眺め(周囲が一目で見渡せます)

発掘調査でみつかった「破城」の痕跡 奥に大きめの石5つが横に並んでいるところが石垣のライン
今後、水口岡山城跡は、実態解明の調査が甲賀市によって進められていますが、廃城後にほとんど手を加えられていない城であるため、今後どのような発見があるか、楽しみなところです。

本丸跡と伝天守台跡

本丸を支える高石垣
おすすめPoint

大手道の虎口(右手奥の土の下から破城の痕跡が発掘されました)
なお、城跡を見学する際には、ダウンロードできるブックレット(『埋蔵文化財活用ブックレット10 水口岡山城跡』滋賀県教育委員会事務局文化財保護課刊行)を利用すると便利です。
周辺のおすすめ情報
水口岡山城から西に1kmほど行った平地に、水口城資料館となっている近世の水口城跡があります。ここは、水口岡山城廃城後、三代将軍徳川家光が上洛の宿館として築城した城で、その後、天和2年(1682)に加藤明友が水口藩2万石の藩主として入城しました。藩主は、鳥居氏を経て再び加藤氏となり、幕末まで続きます。また、水口岡山城のある古城山の南麓には、東海道に沿って近世水口宿の町並みが広がっています。
アクセス
【公共交通】近江鉄道水口駅から南東へ徒歩10分
【自家用車】新名神高速道路甲南ICから北へ約20分
(高木叙子)