『インタビュー/調査員の履歴書』№1「悩める者の進路を照らしてくれたもの」

 当協会のHPよみもの企画に新たに『インタビュー/調査員の履歴書』シリーズが加わります。
 インタビューから明らかになる当協会の調査員の実像や人生をとおして、私たちの仕事やその魅力、価値などをご紹介します。

Q. 新企画『インタビュー/調査員の履歴書』のスタートです。早速ですが、お名前と所属部署を教えてください。
A.瀬口眞司(せぐちしんじ)です。発掘調査員として汗にまみれていましたが、2021年に新設された総務課企画室で今は頑張っています。

Q. どんな仕事を担当されているのですか?
A.発掘調査にはいろんな事務がたくさん伴います。総務課の職員として、その管理などを担当しています。
 企画室の職員として特に力を入れているのは、市町や民間事業者さん、大学のみなさんと手を組んで文化財の情報を発信していく仕事、それから私たちの後継者育成の機会創出などです。

Q. 後継者育成の機会創出にも力を入れているとのことですが、瀬口さん自身が文化財や考古学に関わる仕事に就いたきっかけは何でしたか?
A.高校3年生までは、日本史の教員になることを夢見ていました。しかし、私の性格を知り尽くしていた母から「生徒さんたちが可哀そう」というストレートな助言を受けて撃沈。代わりに手渡された大学紹介のパンフレットに「発掘調査」の4文字を見つけて興味を持ったのがきっかけです。

Q. そんな瀬口さんは、どのような学生時代を過ごされていたのですか?

大学1回生の夏、太宰府市の現場で。スポンジが水を吸うように、いろいろなことを覚えさせていただきました。

大学1回生の夏、太宰府市の現場で。スポンジが水を吸うように、いろいろなことを覚えさせていただきました。


A.挫折と偶然がからんだ進路先でしたが、発掘調査の面白さにすぐに夢中になりました。はじめて参加した発掘は奈良の平城京の調査です。1987年の初夏、大学1回生の5月のことでした。
 現場では、大学の先輩たちが世話役になって丁寧に指導してくれました。今でも感謝しています。驚いたのは、1200年前の地面を上手に削ると奈良時代の柱の穴がうっすらと見えてきたことです。その穴から奈良時代の人が使っていた土器を掘り出した時は本当に感激しました。歴史の生々しい資料が目の前でどんどん露わになっていく──こんなに面白い仕事もほかにあまりないと思い、すぐに夢中になりました。
 この平城京の調査を皮切りに、北海道から九州まであちこちの発掘調査現場でバイトをさせていただきました。卒業後に文化財専門職として就職したいという気持ちも1回生の終わりごろには固まっていたように思います。
とはいえ、将来に対する心配や挫折がなかったわけではありません。心が折れすぎて、奈良の平城宮大極殿から福岡の大宰府政庁まで、泣きべそをかきながら歩いていったこともありました(この話は長くなるので後日に改めます)。
 それでも、ぶれずに専門職への途に進めた理由はいくつかありそうです。一番大事だったのは、「先輩たちの背中」だったんだろうなと思っています。──専門職へ進むにはどんな経験を積み、何を勉強しておくべきなのか、どんな覚悟をしておくべきで、どの程度まで修行しておけば、何とかなりそうなのか──。OBも含めた先輩たちに可愛がってもらう中で、自分なりに真似して、その姿を少しずつ自分の中に焼き付けていく。言葉で教わる/教えることもやっぱり大切ですが、それと同じくらい「先輩たちの背中」から学ぶことも大きかったように思います。

Q. 最後に読者の皆さんにメッセージをお願いします。
 読者の中に、考古学や文化財専門職への進もうと思っている高校生や大学生さんがもしおられるようでしたら、面白い先輩をたくさん見つけることをお勧めします。見つからない場合は瀬口までご相談くださるのも選択肢の1つです。もしかしたら活路が見つかるかもしれません。
 そして、読者の中に大学の考古学等の先生がもしおられましたら、先輩-後輩関係の再整備を改めてご検討いただければと思います。時代やコロナ禍の影響もあって折角の関係性が切れてしまったケースをしばしば耳にします。ご苦労も多いかとお察ししますが、夢と希望がそこにあるかもしれません。
 当協会企画室でも、活用事業なども含めた様々な場面において学生さんたちが実地で学べる機会を可能な限り生み出し、いろいろな大学の学生さん達が学び合える機会が創れるよう努めてまいります。
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